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マインドフルーツ

遅く起きた休日。
天気が良いし暑くもないので、少し散歩するつもりで外に出る。
夕方あたりに腹が減りそうだから何か買っておこう、という気で近くのスーパーマーケットに向かう。
が、大きな店舗と、店先にこれでもかと並んだ色々な商品を見て、食べ物一つを買うのには大げさな気がして引き返す。

信号を渡った先のまいばすけっとに入り、ケースに入っている果物やパンや弁当を一つ一つ見ていく。
チキンカツはいらない。
おつまみっぽいものも違う。
リンゴが食べたいわけじゃない。
冷やし中華も近いけど違う。

ちょうどフルーツサンドくらいのものが食べたい、という状況がたまにある。遅く起きた朝、それなりにしっかりしたパンを食べて満たされているものの、夕食までは持たなさそう。でもしっかりしたものを食べるほど空腹ではないし、無理して食べると夕飯が難しくなる。
軽くて脂っこくなくて冷たいものが何か――


豆腐やアボカドが目に留まるたび、食べたいか食べたくないか考えながら一つの食べ物を買うために通路を歩いていく。
ふと、今とても贅沢な買い物をしているんじゃないか、ということに気がついた。

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ダニエル・ギルバートの「明日の幸せを科学する」は、どうすれば幸せに暮らせるのか?を様々な心理実験を交えながら解説してくれる本だ。流行りの行動経済学っぽくもある内容だ。

ギルバート氏曰く、計画を立てることは未来の自分に奉仕することであり、そして、未来の自分を満足させることは物凄く難しい、とのこと。
例えば、過去の自分が「3年後のために」「将来のために」と思ってやったようなことがいくつかあるとして、そのうち、
・今時点で思い出せる物事がいくつある?
・思い出せたものの中で、「本当にやってよかった」と思えているものがいくつある?
という話でもある。

例えば、僕はサイゼリヤが大好きだ。1週間夕飯を毎日サイゼリヤで食べろ、と言われても困らない。
だが、「来週毎日サイゼリヤに通うとして、それぞれの日に何を頼むか?のセットリストを1週間分作って提出しろ」と言われたら大いに困る。
多分、何を選んでも将来の自分を満足させ切ることはできないと思う。

ギルバート氏は「『未来の自分にとって何が幸せか?』を想像するとき、『足元の自分の状況』に大きく影響を受けてしまう」ということを語る。
そこで出てくるたとえ話が

”スーパーに買い物に行くことは、将来の自分が一番喜びそうなものを計画的に選び取る行為だと言える。が、実際には『今自分がどのくらい空腹か?』ということに物凄く左右される”

というものだ。身に覚えがある。

スーパーでの買い物体験を描いた他の本もある。
パコ・アンダーヒル氏が書いた「なぜこの店で買ってしまうのか」では、店づくりやレイアウトの力がどれだけ買い物客の心理に作用し、購買に至らせるのかという話が色々乗っている。
たとえば、

・店内の入り口すぐには、広い駐車場から勢いよく店内に”歩き込んで”きた買い物客が減速できるようなレイアウトをこしらえると購買に効く
・狭い通路で商品を選んでいる買い物客は、すれちがおうとする他の買い物客と少しでも体がぶつかると、もう商品選びをあきらめてしまう

などだ。後者には「尻こすり効果」という名前がついているそうだ。

ほかにも、日立製作所がホームセンターで行った実験で「どうすれば売上を伸ばせるか?」を人工知能に問うたところ、商品の値付けや営業トークではなくて、「店内の所定の位置に従業員が立っていること」という結論が出てきた、という話もある。試しにその通りにしてみたら本当に売り上げが伸びたそうだが、これはトリックを仕掛けている側も「なんでそうなるのか?」がすぐにはわからないような例だろう。(関連記事)

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言いたいことは「自分のために食べ物を買う」ということのとんでもない難しさだ。

将来の自分は何に満足するかなんて分かりえないし、店側は無意識のレベルでマーケティングをしかけてきている。どうすればこの中で幸せを買えるのか?

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まいばすけっとの通路をいったりきたりしながら、今の自分が食べたいものを一つだけ探す。


納豆。頭の中で味わってみる。違う。
トマト。そうかもしれない。
春雨スープ。違う。

普段のスーパーマーケットの買い物とは、
アマゾンでkindleセールをざっと見ていく時とは、
お米券を薬局で使い切ろうとする時とは、
だいぶ違う頭の働き方をしている。

何年か前に読んだマインドフルネスの本では「マインドフルネスとは今現在の瞬間にだけ意識を集中して、世界に正しく向き合うこと」というような記述があった。

遅く起きた日のまいばすけっとはマインドフルだった。

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