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カルマの解消

自分にとって不都合な人間関係
の中で悩む時、
「自分に害を及ぼす嫌な人が
いたら逃げろ…」
そんな声を聞いたことはない
でしょうか?

自分の意思で新しい人生を選択し、
全て自己責任で、新たな人生を
やり直す。
それも一つの手なのかもしれま
せんが、多くの場面では現実から
逃げたり、その相手から離れた
ところで、違うタイプの苦悩が
想像ができるとか…。
今がベストなタイミングでは
ないとか…。
自分の魂の目的(カルマ)が腹の底
でわかっているから行動をしない
のかもしれません。

私の事で言えば、
人間関係で悩んでいました。
もしかしたら、離れた方が
お互いにとって幸せな人生だった
かもしれません。
離れることを選択できず、
それでも相手や状況の悪い面が
目についてしまう。
気にしていない振りをしても、
常に煩わしく感じている。
そんな状況の中で、追い討ちを
かけるように、癌という病気や、
震災で家を失いました。
一番辛かったのは、子供達の心の
平穏さえ守ってやれなかったこと。
自分のカルマを考えるキッカケに
なりました。

どうして、苦しみを多く感じる
のだろう?
私はそれだけ罪深い人間なのか?
自分自身がわがままなせいか…?
悶々と悩んでいた時期も、長かっ
たように思います。

逃げたとしても、自分自身の思考
からは逃げることはできない。
わかっていても感情は揺れ動き、
頭の中では絶え間なく、文句と
言い訳を繰り返している。
自分にホトホト呆れながらも、
どうやったら思考を止めらるの
かがわからなかった。

お手上げ状態になって初めて、
自分が無知であったこと、
人や状況のせいにしながら、
自分自身を頑なに守ろうとして
いたことに気付きました。
そんな自分を顧みて、
涙が出るほど愛しいと思えたし、
不器用な自分なりに頑張っていた
のだと思えました。

謙虚に学ぼう。
知識を頭に詰め込むだけじゃなく、
自分の人生で実践しながら
人体実験をしていた感じです。
コレがダメならこう…
諦めずに根気よく。

私自身を救ってくれた学びの
中で、仏教哲学を解説してくれる
言葉は心を楽にしてくれました。
私はどの宗派にも属しません。
だから私の信じたことが正しい
かどうかを知る由もありません。
上っ面で聞いた哲学を自分なり
の解釈で受け止めて、それを
実践していたら心が楽になり、
自分の観念が変わってきた。
ただそれだけのお話しです。

サロンでお話しを聞いていると、
似たような悩みも多いですね。
ヒントになれば良いと思います。


「カルマ」というのはご存知で
しょうか?

人間は、それぞれに業(カルマ)
を背負って生きています。
その業が、人間関係や金銭上
の苦労として現れてくる人も
いれば、病という形でのしか
かって来る人もいます。

ただ、その業は決して神が
人間に天罰を下したという
ものではなく、むしろ神からの
ギフトと考えるべきものです。

重い不治の病というのは、
ひょっとしたら業病と呼ぶ
べきものかもしれませんが、
重い病や障害をもつ人の中には、
素晴らしい知恵を獲得している
人がいます。
それは業を悟りに変えて
しまったからです。
そういう人たちは、たとえ寝た
きりだとしても、この世の菩薩
として見事な働きをしてくれます。
詩人の星野富弘氏も、その
お一人ですが、事故で首しか
動かなくなってからも、素晴ら
しい詩と絵を描き続け、無数の
魂を救っています。

われわれは、ほかならぬ、
業においてこそ、悟る機会を
与えられているのです。
解脱への道というのは、
坐禅や念仏といった形式的な
修行において開かれる場合も
ありますがいちばん深い悟り
は、業そのものにしかない
のです。

広島大学のサイトから一部抜粋

カルマは今世において発生した
ものだけではなく、仏教的には
輪廻転生を繰り返す中で、
過去生から引き継いでいると
言われています。
宇宙意識で見れば、ご先祖や
地域にまつわる集合的無意識も
業の一つと言えると思います。

悪いことをしたら、悪いことが
起きる。
「おどし」のように、良い悪い
でジャッジをする二極化した思考
の植え付けは、昔からありました。
カルマを解消するためには、
「良い人」にならなければなら
ないと思い込まされているのです。

善人と悪人も主観の問題です。
かのダライ・ラマ法王も
「悪意なく人を殺した人に
カルマはない」
そんな言葉を発していた記事に
出会いました。
かなり衝撃的な言葉でした。

私の周りにいた理不尽なことを
する人達も同じです。
100%悪人なんていません。

本人のカルマに応じて、その
時々のエネルギーを発している。
それが私にとって衝撃的な言葉や
態度に感じ取れる。

同じモノゴトでも嫌悪感を感じ
る人と、意識にさえ上がらない
人がいる。
それぞれのカルマが違うから…。

「カルマとは、
自分自身が今世で解消させるため
に引き継いだ未解決の問題。
わからないことや、知りたかった
こと知り、その明確な答えを導き
出すこと。」
誰かが語っていた言葉を聞いて、
一気にスッキリしました。

誰しもカルマを解消したいと、
自ら望んで生まれてくる。
適切な人と、適切なタイミングで
出会い、適切なコトが起こるそう
です。
過去を思い起こせば、確かに…。

カルマ(自分にとっての試練)の
中で、自分の内側を探求する。
もちろんそのままでも良いし、
そのままが辛いなら…
自分の有り様なり、捉え方なり、
起こった出来事をどう脳内変換
するか?
自分なりにトライしてみる。

私にとって病気は、
食生活、生活習慣、考え方を
改めるきっかけになりました。
自分に正直に、もっと楽に生き
なさいというメッセージに感じ
ました。

理不尽な扱いは、
言いなりになって我慢を続ける
自分の内側を、まざまざと見せ
つけました。
強い怒りは自分や大切なものを
守るエネルギー源です。

「人は変わらない、だから
自分が変われば良い」
根本はそうかも知れませんが、
勇気を出して自分の言葉で伝える
ことも必要でした。
「そんな扱いを私は許さない」
それは自尊心を守るために
とても大切なことだったと
思います。

徐々にでしたが、
最終的には理不尽なことをし続け
ていた相手さえも変える力があり
ました。
自分の捉え方が変わっただけかも
知れませんが…。

怖いなら、その相手や状況から
身を守って、逃げても良い。
でも自分からは逃れられない。
だから心の声を聞いてほしい。
それがカルマを解消することの
できる唯一の手立てだから。

映画マトリックスでネオが
預言者を訪ねた時、キッチンの
壁に書いてあった言葉。
「Temet nosce」(汝自身を知れ)

うん。
宗派関係なく、神の言葉は
繋がっているね。

最近の気づきのシェアでした。
では、またね。
ごきげんよう👋