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とびきりの労いにお気に入りのオムライスを

中学生の頃、担任の先生に面談でこう言われたことがある。
「君は大人だね」「精神年齢が高い」
中学生にとって“大人”という響きは大変魅力的である。その日からというもの、私は「自分は周りより大人である」と思い込んで生きてきた。

だが、実際はそうでもないらしいことがわかった。上司と面談をして、「社会人n年目にしてはあまりにも未熟だ……」と気づいたのである。大人だと思い込んでしまうと、自分の未熟さが認められなくなる。子ども扱いに耐えられなくなる。正直に言えば、自分はあまりにも未熟であるという事実を、私はまだ認めたくはない。やはり未熟である。

私は自己の開示が苦手である。就職活動でもとんでもなく苦労をした。いつもいい子に取り繕ってしまい、心の奥底は絶対に他人に見せないように生きてきた。言いたいことはあっても「沈黙は金なり」なんて思って、意見はあまり言わない方だった。

でも、周りはもっと自分の意見を言うように求める。なのに私はそのやり方がわからない。自分の素を出す方法も、素直である術も、私は持ち合わせていないのだ。

持ち合わせていないなら今から身につければいい、とは思うがこれがなかなか難しい。こういう能力というのは、幼い頃からの家族とのコミュニケーションの中で育まれるものであると私は考える。つまり、自分一人で身につけられるものではないのだ。私の家庭はいわゆる機能不全家族だったと思っているのだが、このことを社会に出てから幾度となく恨めしく思っている。

私は、自分で自分を育て直そうとした。人格改造とまではいかなくても、性格矯正くらいして、どうにか社会で生きやすい人間になろうとした。一人でどうにかしようとしては挫折してを繰り返して今に至る。もうどうしようもない。

どうしようもないなあと考えながら、面談後の業務を乗り切り帰路についた。電車に揺られながら、どうしようもなく人生が嫌になってきた。このまま帰っても精神衛生上よくないと考えた私は、どこかに寄り道をして帰ることにした。映画を観る気分ではないし、買いたいものも特にない……食欲もそこまで……と考え、ふと思いついたことがあった。

そうだ、珈琲西武のオムライスを食べよう。

気づけば進路を変えて新宿に降り立ち、通勤ラッシュの雑踏をかき分けて真っ直ぐに珈琲西武を目指した。

卵をたっぷりと使ったふわふわのオムライスは、身も心も満たしてくれる。こういう「自分にとっての特効薬」というものはいくつあっても良い。

オムライスが好きというのも、なかなか子どもじみているかもしれない。そう、私は子どもなのである。アダルトチルドレンというやつなのである。大人の前で無理をして大人っぽく振る舞ってきたせいで、子どもの自分を過去に取り残してきてしまった人間なのである。

無理に背伸びをして苦しんできたのだから、もう背伸びはやめよう。成長を急がず、ゆっくり育てていけばいい。そうして伸び伸び学ばせてくれる環境がある、今に感謝しながら。

少し前まで自分は未熟じゃない!!と腹を立てたり、どうしようもないなあと落ち込んでいたはずなのに、今は「まあそれでもいいじゃないか」と思えてきた。特効薬、珈琲西武のオムライスの効き目は今回も抜群だったようだ。

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