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クラブ薬物の真実③ 歌舞伎町とサイケデリックトランスと薬物

こんにちは。
ノダハルキです。


私がクラブに通い始めたのは2006年頃。
六本木では伝説のCLUBバニラがまだあったころです。

近辺ではエーライフ。当時ドラマなどのロケ地でも人気のあったクロスなどもありました。

銀座は当時ジニアス一択で、飲み会帰りの社会人から、結婚を拗らせた40代のおじさんナンパ師まで女の子を持ち帰ろうと、せこせことナンパをしていました。

六本木や銀座のクラブの客層はほぼ一般人サラリーマン。
一部のVIP席は除きますが、まったくといっていいほど危ないようなことありません。クラブ内の会話で薬物の話題はでてきたことはほとんどありません。


六本木や銀座のクラブでワイワイ騒いだり、ナンパをしている程度であれば、薬物との接点はほぼないと言ってもよいです。



一方で、新宿歌舞伎町。
こちらは同じクラブでもまったく人種が違います。
2006年当時はトランスブームの真っ只中。
エピックトランス、サイバートランス、そしてサイケデリックトランスなどが大きなクラブでも流れるくらいに流行っていました。その当時に流行ったのがパラパラやトラパラですね。


とくに当時は
「新宿エムズ」「新宿ファンクタイム」「新宿CODE」が有名で、アウトローのたまり場になっていました。


歌舞伎町コマ劇前の象徴でもある「新宿CODE」ではサンモニ(日曜朝のイベント)と呼ばれるイベントが開催されていました。
そこには、一部「サー人」と呼ばれる大学生のサークルの人たちもいましたので、一概にアウトローたけではありませんでしたが。

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アウトローが好んで聞いていたのが「サイケデリックトランス」です。サイケデリックトランスのイベントは明らかに客層が一般人ではありません。
当時は大型イベントもよく開催されていて、「ディファ有明」などの会場ではアウトローの面々が集まっていました。



大きな野外イベント(レイヴと呼ばれていて薬物逮捕者がでて当時よくニュースにもなっていた)になると「ヒッピー系(※自然回帰を目指す若者?)」のアウトドアブランドを身に纏った一般人の集団のたくさんいましたが、基本的にはアウトローが幅を利かせています。


そして、サイケデリックトランスを聞いている人たちは、当然ようにみんな薬物を利用をしていました。

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サイケデリックトランスとは薬物ありきの音楽です。
その受け皿となっていた新宿歌舞伎町のクラブは当時間違いなく薬物の温床でした。
私は当時、六本木と歌舞伎町のクラブを行き来していましたが、まったくの別ものといってもよいです。


新宿だけでなく、渋谷もいまよりだいぶ治安がよくない時代でした。
その当時の少し前まで営業していた、渋谷パイロンはオラオラ系ギャル男の聖地。そこから、渋谷Atomへと客層は引き継がれ、地下ではバリバリにサイケデリックトランスを流していました。



当時はAtomの常連さんに知り合いがいなかったのでわかりませんが、渋谷Atomの地下のエリア(サイケエリア)は、まだロン毛のオラオラ系ギャル男がたくさんいた時代です。見た目的には薬物ユーザーが多そうな印象がありました。

そして、渋谷Atomのケツ持ちは半グレだったはずです。関東連合か怒羅権かは忘れましたが、当時の治安はいまよりずっと悪かったと記憶しています。

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とにかく当時のサイケデリックトランスのイベントの客層はかなり悪かったです。とくに歌舞伎町では、夜職(夜の仕事をしてる人)ばかり。見事に、ヤクザ、半グレ、ホスト、黒服のたまり場のようになっていました。昼職の人もいたかもしれませんが、いたとしてもやんちゃな現場仕事の方たちがちらほら。



利用されている薬物も、覚醒剤とかMDMA(合成麻薬)のようなわりとハードなドラッグばかりでした。
隠語も「スピード」だとか、「早いの」だとか、「つめたいの」、「S」だとか、玄人向け?の隠語を利用している人が多かったと思います。


またハードな薬物を利用していると、瞳孔が開いてしまうようです。
そのため、キマっている状態を隠すために、多くの人が真っ黒のサングラスを着用していました。サンプラザ中野さんのようなサングラスです(笑)



サイケデリックトランスのイベントは、ひたすら反復横跳びや、手を仰ぎながら、くねくね踊る人たちが多いのですが、完全に自分の世界に浸っているので邪魔しないほうがよいです。

一般人がクラブに通っていても、公に薬物を利用している人に出会うことはめったにありません。


出会う可能性があるとすれば、大きな野外イベントでしょう。
野外イベントでサングラスかけて反復横跳びしている人がいたら、こいつやってるなと思ってもよいと思います(笑)


トランスブーム時代の終焉にともない、ギャル男文化が衰退していきました。お兄系が流行り、その後オラオラ系の原型がちらほら生まれはじめました。そのときに流行り始めたのが「刈上げパーマ」です。



「黒縁メガネ」が流行りだしたのも、ギャル男文化の衰退直後のような気がします(※厳密には裏原系ファッションのときにも流行ってましたが)
短髪刈上げがオラオラ系の主流になりました。ソウルジャパン(※オラオラ系の雑誌)が発刊されたのもこの頃だったような気がします。


まだこのころはあまり薬物のニュースで騒がれるようなこともありませんでした。アウトローたちはわりと周りを気にすることなく薬物を利用していました。


いまの大麻のように少し不良な若者が薬物を利用しているケースは少なく、薬物を利用していたのは本当に悪い人たちだけです


それでは、10年クラブをみてきて、実際にクラブ内で利用されていた薬物の使われ方や隠語など、さらに詳細を書いていきます。


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