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「セクシー田中さん事件とナッツリターン事件。我々は芦原妃名子さんの悲劇を分岐点にしなければならない」漫画原作改変問題に思う(6)

■「お前の責任だ! お前が降りろ!」
 2014年12月5日、韓国社会を揺るがす事件が起きた。
 ジョン・F・ケネディ国際空港で離陸のため滑走路に向かい始めた大韓航空86便にファーストクラスの乗客として乗っていたチョ・ヒョナ副社長が、CA(客室乗務員)のナッツの出し方が悪いとクレームをつけ、旅客機を搭乗ゲートに引き返させた上でチーフパーサーを86便から降ろし、運航を遅延させた、世に言うナッツリターン事件である。
 チョ副社長は、袋を開封せずにCAがナッツを出したことに激怒。
 駆け付けたチーフパーサーのパク・チャンジン氏がマニュアル通りであることを説明したが、副社長の怒りは更にエスカレート。
 パク氏とCAをひざまずかせて暴言を吐き続け、暴行まで加えた。
 そしてついに、
「お前の責任だ! お前が降りろ!」
と、パク氏に冒頭の言葉を絶叫した。
 その怒鳴り声はファーストクラスの後方のエコノミークラスにまで聞こえるほどだったという。

■韓国社会のハラスメント「カプチル」
 カプチルとは、韓国社会で見られるハラスメントのことで、立場が上の者が下の者に対しつらく当たる行為を言う。
 パワハラ、モラハラ、セクハラなど、みなカプチルである。
 ナッツリターン事件は、大韓航空チェ副社長による従業員に対してのカプチルであり、その後の韓国社会で大きく取り上げられることになった。
 韓国は日本と比べてはるかに弱肉強食社会であり、上の者には媚びへつらい、下の者に横柄に出るのは長らく当たり前とされていた。
 ナッツリターン事件もよくあるカプチルの1つであったのだが、それが大きくメディアで取り上げられたことにより、カプチルに対する国民の意識が高まり、世の中を変えていこうという動きになったのである。

■真実を語ることを許されなかったチーフパーサー
 報道により大きく取り上げられたものの、大韓航空側は暴言と暴力があったことを否定。
 それどころか、チーフパーサーだったパク氏に対し「経緯報告書にはオーナー一家の機嫌を損ねないよう、『副社長に過ちは無かった』と書くように」と、事実とは違うことを書くように指示してきた。
 パク氏としても生活がある。
 怒り、悔しさはあったものの、解雇されたら暮らしていけない。
 不本意ながらもパク氏は真実を語ることができなかった。

■大韓航空は謝罪文をホームページに掲載
「乗客の皆さまにご迷惑をおかけしたことを謝罪いたします」
「副社長が機内サービスの責任を負う役員として問題提起と指摘をしたことは当然のことです」
 この謝罪文に韓国社会からの批判は更に高まり、ついにはチョ・ヒョナ副社長の父、会長のチョ・ヤンホ会長がテレビカメラの前で謝罪するという事態になった。

■ナッツリターン事件とセクシー田中さん事件の共通点
 ここまでお読みいただいていかがだろうか。
 ナッツリターン事件と、セクシー田中さん事件には、共通点が多々見られる。

【チーフパーサーのパク・チャンジン氏も、「セクシー田中さん」原作者の芦原妃名子さんも真実を語る機会を直ぐには得られなかった】
 パク氏は、会社に止められ、ナッツリターン事件の真実を世間に明かすことができなかった。
 芦原妃名子さんも、脚本家 相沢友子氏が2023年末にインスタグラムに書いた芦原妃名子さんを批判する内容に対して、反論する術を持っていなかった。

【パク氏も、芦原さんも、自分の言葉で真実を語るしかなかった】
 会社からの声明ばかりが報道される中、危機感を抱いたパク氏はナッツリターン事件が起きた同年同月の2014年12月、テレビ番組に出演し、真実を自身の口で語った。
 相沢友子氏のインスタのコメントばかりが取り沙汰され、芦原さんが批判される事態に危機感を抱いた芦原さんは、相沢氏のインスタコメントが書き込まれた翌月の2024年1月、X(旧Twitter)アカウントを開設し、真実を自身の言葉で綴った。
 会社も、誰も、自分の言葉を代弁してくれる者は、自分を守ってくれる者はいなかったからである。
 パク氏も芦原さんも、自身が行動を起こす以外なかったのだ。

【パク氏も、芦原さんも、死の苦しみを味わった】
 テレビ放送後、パク氏を待っていたのは地獄だった。
 社員全員から無視をされ、チーフパーサーからは降格。
 乗務時の昼食の順番は最後にされ、食事はビビンバ、スープ、デザートをごちゃまぜにした物を出されるなどの嫌がらせを受け、死ぬことまで考えた。
 実際、飛行機内のトイレでネクタイで首を吊る寸前までいったのだが、ギリギリのところでパク氏は思いとどまったのだった。
 X(旧Twitter)への投稿後、芦原さんを待っていたのもまた地獄だった。
 ネットは相沢氏を支持する声と芦原さんを支持する声に分かれ、両派の対立は激化。
 そのことに心を痛めた芦原さんは、
「攻撃したかったわけじゃなくて。
 ごめんなさい。」
とX(旧Twitter)に最後の投稿をして後、自らの命を絶ってしまった。

【会社は謝罪文と自らの正当性をネットに掲載】
 大韓航空が、ホームページに載せた謝罪文は先述のとおりだが、セクシー田中さん事件でも、日本テレビと小学館が声明を載せている。

[日本テレビ]
「芦原妃名子さん訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます」
「原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております」

[小学館]
「ご逝去に伴い、読者、作家、関係各所の皆様にご心配をおかけしていることを深くお詫びいたします」
「映像化については、芦原先生のご要望を担当グループがドラマ制作サイドに、誠実、忠実に伝え、制作されました」

 共通点は3社とも自社の正当性を主張している点である。
 それに対し、かえって批判的世論が高まったことも同じである。
 大韓航空が主張した正当性は後に嘘であったことが発覚した。

【会社を動かしたのは世の中の声だった】
 大韓航空の会長が謝罪するまでになったのは、大韓航空が無視できないまでに韓国世論の声が大きくなっていったからだった。
 芦原さんが亡くなった件に関し「社外発信予定なし」としていた小学館が、声明文をホームページに掲載するに至ったのも、小学館が無視できないまでにネットの批判の声が大きくなっていったからだった。
 日本テレビは、芦原さんが亡くなって直ぐに出したコメント以外、何も声明を発していない。
 芦原さんからの声をドラマスタッフがどのように受け取り、ドラマ制作が行われていたのかを正直に世間に対して説明することが、今、求められている。
 が、2024年2月12日現在、日本テレビはまだ沈黙したままである。

【セクシー田中さん事件を、今後の漫画のテレビドラマ化体制を変える分岐点にしなければならない】
 ナッツリターン事件後、韓国ではカプチルを題材とする多くの映画やドラマが作られ、カプチルを無くしていこうという動きが生まれている。
 日本においても、今回のこのセクシー田中さん事件という悲劇を決して風化させてはならない。
 日本で漫画が、アニメやテレビドラマ、映画などへと映像化される際に、しっかりと原作者である漫画家の意向が反映され、視聴した漫画家もファンも皆が幸せになれる映像作品が作られるように、仕組み作りをしていかなければならない。
 今回の悲しい事件を、その分岐点にしなければならない。
 芦原妃名子さんの死を決して無駄にしてはならない。

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