「役職定年校長の第二の教員人生」written by 来譜 瀬感度(らいふ せかんど)

2024年3月で役職定年となる公立学校の校長です。学校での仕事のことや、好きなアニメ、…

「役職定年校長の第二の教員人生」written by 来譜 瀬感度(らいふ せかんど)

2024年3月で役職定年となる公立学校の校長です。学校での仕事のことや、好きなアニメ、漫画、特撮のこと、60歳以降の人生のことなどについて書いていくエッセイです。ペンネームは、Life 2nd からとって 来譜 瀬感度(らいふ せかんど)です。

最近の記事

「人生に起きる事は全て自分の責任である」。頭ではそう分かっていても、腹の底からそのように信じるのは正直かなり難しい。でも、それを真にできる人だけが幸せになれるのだ。

■この世で人生において起きる出来事の全ては自分に責任がある  成功哲学、引き寄せの法則、スピリチュアル――そういったものでよく言われている。  「この世で人生において起きる出来事の全ては自分に責任がある」と。  まあ、それを頭では分かってはいたとしても、それを納得して 自分の 腹の底に落とし込む――というのは正直かなり難しい。  例えばどの親元に生まれてくるのか。  これ「自分に責任がある」――と、はたして言えるだろうか 。  まあ、私も色々な本を読んだのだが、人間というのは

    • 警官は麻薬をペロとか舐めないし、取調室でカツ丼も出さない。災害派遣を断るような人は警察には向いていない。警察官も交通反則切符は切られる。時効寸前の逮捕というのは現実にはありえない。パトカーや白バイは別に改造して性能アップしていない。自宅で誰かが亡くなれば必ず警察が来る。実弾による威嚇射撃は行う。異なる都道府県警同士も皆なかよし。

      ■先日 警察関係者の人と話す機会があった  いろいろ 普段から 疑問に思っていることなどについて伺ってみた。  例えば よく漫画やアニメ 刑事ドラマなどである、白い粉を見つけて ペロッと 舐めるシーン。  まあ「あれは本当はダメだ」ということをすでにネットの記事 や 本の記事などで読んで私は知っていたのだが、一応 念のためその警察関係者の方に聞いてみた。  そしたら やはり それはだめだということだった。 ■なぜそういったことが世の中に広まったのか  おそらく 昭和時代の刑

      • ジェンダー平等の時代。男性受刑者にも化粧水を。時代に合わなくなってきている紅白歌合戦。児童生徒の水着や体操服も男女差無しに。昔の男子は廊下で着換えさせられてきた。還暦男性も、顔に化粧水塗ったり、ヘアセットをしたりしよう。

        ■受刑者も男女平等に  先日の報道で男性受刑者も 刑務所で化粧水等が支給されるというものを見た。  それまでは、女性受刑者だけにそういった化粧品関係のものが支給されていたそうなのだが、今後は、男性受刑者にもそういったものが支給されるようになるとのことだ。  ジェンダーのことがいろいろ言われて久しいのだが、考えてみればそれ――受刑者への化粧品等の支給のこと――は当たり前のことである。  男女どちらも同じ人間なのに、女性にはそういった肌のケア商品が支給され、男性には支給されないと

        • 「あ、なんかこの人ダメそう」電話の第一声だけでなぜか判るその人のダメぶり

          ■第一印象で「あ、なんか、この人、ちょっとダメそうだな」と感じさせる人  校長という職業柄、電話で話す機会がちょくちょくある。  これをお読みになっている皆さんもそうだろうが、電話の声を通してでも、相手の様子がある程度わかるものだ。  笑顔で話しているのか。  仏頂面なのか。  怒っているのか。  困っているのか。  泣いているのか。  外国の方なのか。  そして、次のようなことが感じられるときもある。 「あ、なんか、この人、ちょっとダメそうだな」  特にこれといった

        「人生に起きる事は全て自分の責任である」。頭ではそう分かっていても、腹の底からそのように信じるのは正直かなり難しい。でも、それを真にできる人だけが幸せになれるのだ。

          担任としては今イチだけど、管理職に向いている人もいる。

          ■「名選手、必ずしも名監督ならず」  スポーツの世界で昔からよく聞く言葉だ。  現役時代すぐれた選手だった人が引退して指導者になったからといって、必ずしも優秀な指導者になるとは限らない。  だが、考えてみればこれは当たり前のことだ。  選手と監督は、まったく別の能力が求められる。  選手として優秀な能力をもっていた人が、監督として、指導者として優秀だとは限らない。 ■「バッといって、ガッ」天才 長嶋茂雄の言葉  むかし巨人軍で活躍した長嶋茂雄氏。  彼は天才肌だった。

          担任としては今イチだけど、管理職に向いている人もいる。

          元号切り替わり。前回は大部分の人が前のことを知らなかったが、今回は多くの人が前のことを知っていた。

          ■「お正月が2回来たみたいだった」  1989年冬休み明けの子どもたちの第1声である。  当時私は教員2年目だった。  昭和64年は1週間で終了し、翌1月8日から元号は平成に切り替わった。  1988年の秋頃から昭和天皇の体調が急激に悪化した。  私は当時毎週日曜日10時からの「仮面ライダーBLACK RX」を観ていたのだが、この番組のオープニング主題歌の間、必ず昭和天皇の血圧や脈拍数や下血の有無などがテロップで表示された。  おかげで、RXの主題歌を聴くと、脳裏にあれらテ

          元号切り替わり。前回は大部分の人が前のことを知らなかったが、今回は多くの人が前のことを知っていた。

          「原作改変OKな人。原作改変NGな人。いろいろな漫画家の方がいる。どちらであっても、漫画家の意向は絶対に尊重されなければならない」漫画原作改変問題に思う(9)

          ■日本テレビ 春の新番組「たーたん」制作中止に  日本テレビも、わざとやっているのかというくらい、次から次へといろいろと不適切な言動をとっている。  西炯子(にしけいこ)さんによる小学館での漫画を原作とし、日本テレビで放映が予定されていた新番組「たーたん」が制作中止となった。  小学館の漫画原作で日本テレビで放映――「セクシー田中さん」と全く同じ組み合わせだ。  それなのに、日テレからは「セクシー田中さん」事件について、何の説明も無い。  芦原妃名子さんが亡くなった件について

          「原作改変OKな人。原作改変NGな人。いろいろな漫画家の方がいる。どちらであっても、漫画家の意向は絶対に尊重されなければならない」漫画原作改変問題に思う(9)

          「気付いた人がやる」という謎ルール。海外には多分無い。

          「気付いた人がやりましょう」  よく聞く言葉だ。  職場の流しの掃除。  午後の日差し除けのカーテン閉め。  無くなったコピー用紙の補充。  溜まったシュレッターくずの廃棄。  町内のゴミ置き場の掃除。  いろいろある。  こういうのは、当番制にでもなっていないと、全員に均等に仕事が割り振られない。  いや、当番制にしていたってサボる者が必ずいるから、公平にならない。  やる人はやるけど、やらない人はやらない。  たまりかねて話し合いの機会をもつ。  すると、必ず冒頭の

          「気付いた人がやる」という謎ルール。海外には多分無い。

          愛されなかった幼少期を送った者が人を愛するとき、心の中では身を切り与える血の涙が流されているはずだ。「義母と娘のブルース」感想

           2024年正月特番「義母と娘のブルース」を観た。  血のつながらない母と娘の交流を描いたものだ。  「義母」という場合、配偶者の母親を差すのが一般的であると私は思う。  このドラマのケースは、正しくは養母、もしくは継母だと思うのだが、ここではドラマのタイトル通り、以後義母と記述する。  このドラマの義母は、自身が親の愛に恵まれていなかった。  なので、自身の娘に対しては、義理の関係とはいえ、精一杯の愛情を注ぎたい――それゆえの、娘に対する一生懸命な愛情表現だったのだ。

          愛されなかった幼少期を送った者が人を愛するとき、心の中では身を切り与える血の涙が流されているはずだ。「義母と娘のブルース」感想

          世界中のあちこちで今日も行われている「忖度(そんたく)」。それは、誰から誰に対する忖度か? 気持ちを読むのも時には必須。

           国語の授業とは言葉の学習である。  言い換えれば日本語の学習だ。  日本語を学ぶのだ。  たとえば、英語に例えてみよう。  英語の授業とは英語の学習だ。  言葉づかいや文法について学ぶ。  ところが日本の国語の授業では、気持ちを読み取る、というか、想像する学習がずっと行われてきた。  おそらく今も、日本各地の国語の授業で行われている。  物語文の授業で 「このときの登場人物はどんな気持ちだったでしょう?」 と先生が発問し、子どもが文章から読み取ったり、文章に書かれていな

          世界中のあちこちで今日も行われている「忖度(そんたく)」。それは、誰から誰に対する忖度か? 気持ちを読むのも時には必須。

          「テレビ番組は放送枠を埋めるためにある」漫画原作改変問題に思う(8)

          ■ドラマを作るのは視聴率を取るため  日本でテレビドラマを作るのは「視聴率を取るため」。  この一択だ。  ぜひテレビドラマ化したい漫画があるから、できるだけ忠実に実写化したい――そう考えて作られているのではないのである。  そのカラクリを書いていきたい。 ■放送枠を埋めなければならない  まず放送枠というものがある。  月曜の夜9時からとか、金曜の夜10時からとか。  そしてその放送枠には、何らかの番組を作って入れ込まなければければならない。  空けておくことは許されない

          「テレビ番組は放送枠を埋めるためにある」漫画原作改変問題に思う(8)

          「もはや何を言っても許されない段階にきてしまっている」漫画原作改変問題に思う(7)

          ■これまでも329人の漫画家たちがつらいめに遭わされていた  私も、ネットのユーザーたちも、なぜ今回の「セクシー田中さん」事件に対してこんなにも怒っているのだろう?  私は「セクシー田中さん」を観るまで、芦原妃名子さんという漫画家を存じ上げなかった。  なので、私は取り立てて芦原先生のファンだったわけではない。  ないが、今回のことには怒りが湧いてくる。  他の多くの人々も同様だろう。  思うに、これは、日本において長らく漫画が映像業界に搾取されてきた構造が露呈した出来事だ

          「もはや何を言っても許されない段階にきてしまっている」漫画原作改変問題に思う(7)

          「セクシー田中さん事件とナッツリターン事件。我々は芦原妃名子さんの悲劇を分岐点にしなければならない」漫画原作改変問題に思う(6)

          ■「お前の責任だ! お前が降りろ!」  2014年12月5日、韓国社会を揺るがす事件が起きた。  ジョン・F・ケネディ国際空港で離陸のため滑走路に向かい始めた大韓航空86便にファーストクラスの乗客として乗っていたチョ・ヒョナ副社長が、CA(客室乗務員)のナッツの出し方が悪いとクレームをつけ、旅客機を搭乗ゲートに引き返させた上でチーフパーサーを86便から降ろし、運航を遅延させた、世に言うナッツリターン事件である。  チョ副社長は、袋を開封せずにCAがナッツを出したことに激怒。

          「セクシー田中さん事件とナッツリターン事件。我々は芦原妃名子さんの悲劇を分岐点にしなければならない」漫画原作改変問題に思う(6)

          漫画原作改変問題に思う(5)

           X(旧Twitter)では多くの漫画家さんたちからの小学館への批判ポストが止まらない。  過去に小学館側とトラブルのあった何人かの漫画家さんたちもそれを告発するポストをしている。  小学館編集部と相沢友子氏が2/8(水)に出したコメントを評価する声も一定数あるものの、多くの見方は批判的である。  今回の「セクシー田中さん」の漫画原作改変問題は、ネットではとても大きな動きを巻き起こした。  YouTubeにも多くの動画が上がっている。  しかし、地上波のテレビ放送局や、出版社

          漫画原作改変問題に思う(4)

           小学館は、芦原妃名子さんが亡くなった経緯について説明はしないと公言した。  どうしてこう次から次へと人々の神経を逆なでするような対応が出てくるのかと、呆れるというよりむしろ感心してしまう。  今回は、その小学館の各学年学習雑誌で1970年1月号より連載開始された「ドラえもん」を取り上げる。  雑誌は小学館、放送局は日本テレビと、「セクシー田中さん」と同じである。 【日テレ版ドラえもん】  今や幻の作品となり、再視聴はほぼ不可能になっている「ドラえもん」の第1作テレビアニメ

          漫画原作改変問題に思う(3)

           ネットで散々批判され、やっと日本シナリオ作家協会は謝罪した。  芦原妃名子氏が亡くなった報道がされた当日の夜に、漫画家、原作者をうるさがるような内容の動画を公開したことに、私はまず人間性を疑った。  日本シナリオ作家協会のHPには「ハラスメントに関する声明」というのが掲載されている。 「これまでに発生した加害も、被害も、決して"なかったこと"にはしません」 「悪質な搾取行為」 「世間の常識や人間の倫理としては法的にも道徳的にも決して許容されないようなこと」 等々とここに綴