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自己表現としてのファッション、他者承認のためのファッション。

最近街を歩いていると、
ストライプのシャツを羽織った人とよくすれ違う。

よく見ると、様々なデザインがある。

サイズ感が大きかったり小さかったり                        ストライプの色が濃かったり薄かったり                襟があったりなかったり

流行とは不思議なもので                       私たちは、みんな似ていてちょっと違う。

これは、
ファッションには自己表現をする・他者承認を求める手段という、
2つの相反する役割があることに由来する、と私は思っている。


誰が為に服を着る?

そもそも宇宙に一人ぼっちだったら
ここまで服にこだわりを持つ必要はない。

せいぜい温度調節とか着心地の問題くらいだろう。

おしゃれというのは、社会的文脈のなかで意味を持つ。
つまり、他の人に見てもらって初めて意味を成すものだ。

自己主張のわかりやすい例は、
少し前に流行った原宿の「kawaii」ファッション。

ピンクや黄色の原色の服を、これでもか!というボリューム感をつけて
てんこ盛りにしている。

非日常感が溢れるこのスタイルは
「私は人と違う。大人になんかならない。」
という社会的規範に対する反抗の現れだ。

別段ファッションに特別な個性をもとめていない人でも、
電車で自分と全く同じ服を着た人を見かけたら
少し気まずいのではないだろうか。

私たちは服を選ぶ時「自分らしさ」を気にする。

この袖の形は私「らしくない」
この裾のフリンジが自分「らしい」

同じようなデザインの服でも
ディティールの選び方でその人の色が出る。
それがささやかな個性、となるのである。


いつもそこにある誰かの目。

一方、他者承認欲求の代表は
ブランドのロゴマークだ。

ただの柄が意味を持つには、
それが高値で取引きされる代物だということを知っている
周りの人の目が必要になる。

また、デートの服選びに悩むのも
相手の相手の目を気にしているからだ。

「やっぱり清楚に白いワンピース?」
「でも狙い過ぎは嫌だから黒にしようかな…」
「意外と歩きそうだし、ヒールよりフラットシューズ?」

少しでもよく思われたい、という欲求に動かされ
私たちは一生懸命コーディネートを考える。


おしゃれなひとのバランス感覚

この、自分の好きなものを選ぶ「自己主張」と
相手の視点を考えて選ぶ「他者承認」のバランスがいいとき、
人はセンスがいいと感じる。

自分のことしか考えていないと視点が狭いように思えるし        周りに合わせすぎて個性がまったくなかったり             ブランド物で固めているのもかっこ悪い。

その人の社会への関わり方が見えるファッション。

街を歩く時にぜひ、意識していただきたい。




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