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はじめて味わったこの感覚について、ふとわかった〜東京理科大学での授業を終えて〜

ミュージカルの私が
なぜ理科大で授業をしてるのか?
どんな授業をしてるのか?

よく、質問されます

事の発端は、高校の同級生の一言

「理科大に面白い先生いるから会ってみたら?」

と、紹介してくれたのが

東京理科大学の井藤元教授
教育学の博士で、理科大の教職教育センターの教授

井藤教授は、ミュージカルが大好きで
しかも、劇団四季が大好きで
私が舞台に出ていた時も観てくださってたそうで
お会いしてすぐに意気投合!!

そして、
「笑育」という
お笑いと教育を掛け合わせたプログラムを
作成された経験があり
パフォーマンスと教育の相性の良さを
強く感じておられた井藤教授

そこで、私たちは一緒に
「ミュージカル教育プログラム」をつくり
理科大の教職課程の学生さんたちに提供することになった

私の役者としての経験や
クリエイティブスタッフや講師としての経験を
たくさん質問してもらい
言葉に変え
授業として構築し
全6回のプログラムが完成

その後、世の中は、
コロナの影響でさまざまなことがストップ

大学での授業もオンライン中心となり
このプログラムはたった一回だけの開催となって
残念な思いをしながらも
またいつか、必ず!!
と、粛々と力を蓄えていたワタシ

時はたち
コロナが5類になったこともあり
ミュージカル解禁♪
今回久しぶりに授業をさせていただけることとなったのです〜

今回の授業は大学院のみなさん向け
理学研究科 科学教育専攻の集中講義「学校教育特別実習(一)」
と、いうもの

東京理科大のSNSより

今回の集中講義は3日間で
私は最後の授業を担当しました

参加のみなさんは2日間の間
インプロや落語、漫才など
たくさんのことを体験済み

私の授業のときには
もうご自身の内側をアウトプットすることに慣れ
大きな表現も躊躇なくできていたのに感心

私が授業でやらせていただいた内容は
東京理科大学の広報さんが書いてくださった記事がわかりやすいので
それを転載しようと思う

8/4(金)、理学研究科 科学教育専攻の集中講義「学校教育特別実習(一)」の一環で、ミュージカル俳優(劇団四季出身)の高城 信江さんをゲスト講師にお招きしました。

本集中講義は、漫才師、タレント、ミュージカル俳優など、様々な分野の表現のプロを招き、教師に求められるパフォーマンス力、表現力、ファシリテーション力を実践的に学ぶ授業で、大学院生を対象として3日間にわたり開講されました(担当:科学教育専攻 教授 井藤元)。

3日目(8/4)のゲスト講師を務めた高城氏からは、「ミュージカル俳優に学ぶ表現の技法」をテーマに、ワークショップ形式で授業が進められました。演技に必要なこと、「感じる力・考える力・動く力・伝える力」を養うため、身体と声のワーク、ストレッチ、呼吸や発声の練習を行いました。
また、4つのチームに分かれて、「桃太郎」の出陣シーンを演じました。

まずは即興で演じた後、「物語と役を理解する」「役づくりとサブテキスト」(ワークシート)を経て、2回目の演技に臨みました。1回目の演技もさることながら、2回目の演技は役が求めている「本望」を知ることで、受講者のみなさん、素晴らしい演技をされていました。

▼ 井藤 元 教授 ▼
https://www.tus.ac.jp/ridai/doc/ji/RIJIA01Detail.php?act=pos&kin=ken&diu=6b13

東京理科大学SNSより

今回、授業をやらせてもらって
初めて味わった感覚があったのが忘れられない

うまく言葉にならないんだけど
充実感のような
満足感のような
自信に満ちた感覚

もちろん授業の内容は完璧ではない
改良したいところはたくさん出てきたし

院生の方をしっかり感じずに
テンポだけで説明してしまったり

コンテンツのつながりが悪かったなぁって
反省点もたくさんある

でも、なんとも言えない
この満ちた気分は
一体なんなのか?

東京理科大学SNSより

授業が終わってからもそれをしばらく味わってたら
ふとわかったことがあった

私はこの授業内容をつくるまでの間
不思議なくらい
自分の内側からアイデアが湧いてきた

今までは
自分が経験して良かったことを
コンテンツ化して
授業に組み込んでいた

表面的には大きく変わりはない感じがするけど
感覚的には
頭で生み出してたのと
全身全霊で生み出していたのと
そのくらい違う



私がコロナ禍になってやっていたことは
内省、内観
自己理解と自己受容だ

特に今年に入ってからは
自己受容が深まって

とある学びの中できっかけがあり
自分の過去を言語化しながら振り返ってた

振り返ってたというよりも
振り返りながら
自分がしてきた体験を
ひとつひとつ
受け取り直していたのだ

「答えは自分の内側にある」
「自分の内側に聴く」

と、いった
よく耳にしたり目にしたりするセンテンス

こういうのって理解の層が何層もあるなとおもった



今回、授業内容を考えるときに
不思議なくらい内側からアイデアが湧いてきた
と、先述したけれど

まさに、この
「答えは自分の内側にある」
を、体験したのかもしれない

それが体験できたのは
過去の体験の受け取り直しのおかげだととらえてる

どういうことかというと

私は、過去起きた出来事たちを
思考で出来事を処理して
感じたことに意識を向けてあげることはなかった

だから
「情報」のように
知っていただけだったのかもしれない

自分が体験してることなのに
自分ゴトになってなかったってこと
(これは、書いていて結構衝撃を受けている汗)

人生での出来事を
自分の人生の体験にするには
その体験で感じてることに意識をむけて
ただ、そこにとどまる必要があって

そこではじめて
その体験を受け取ることができ

その体験は「情報」ではなく
その人特有の「英知」に変わるのではないかしら?

その「英知」こそが
「答えは自分の内側にある」
の、意味なのかもしれないね

すなわち
自分の内側に聴く
と、いう行動をするのではなく
(=DOING)

目の前の出来事に対して感じてることに
どれだけ意識を向けて
受け取れている状態にあるか
(=BEING)

この状態にあることで
「あ!わかった!!」
と、いう
自然な生まれ方がするのではないかな?

このBEINGの状態から生み出された
今回の授業内容は
私という「個」を通してしか生まれないものだ

だから
出来がどうであろうと
それを実現できた歓びが深いのだ

何をやるかではない
どの地点から
どの状態から
それをやるか

それがますます腑に落ちた

実はこの授業内容を精査し深めて
書籍化することが決まってる

井藤教授の元に集う
パフォーマーたちの共著で
来年出版予定

先日の授業で
全員ではないけど
そのみなさんが集まった!!

左から
井上さん(アナウンサー)
シギハラさん(お笑い芸人)
小西さん(お笑い芸人)
ワタシ
井藤教授

今回の授業で
はじめて味わった感覚は

目の前の出来事を
ひとつひとつ丁寧に感じながら体験して
私自身の知恵と英知につながって
いのちに導かれながら共に生きている

そんな感覚だったのかもしれない

私はもう
ワクワクも
トキメキも
望みを先取りして感じることも
要らない

目の前の出来事と
その瞬間、自分の内側で感じてること
それだけで満ちてるし
幸せだ

東京理科大学の井藤教授
受講してくださったみなさん
素晴らしい気づきにつながる体験を
ありがとうございました♪







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