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INFJは本当に「優しい」のか?

INFJ=優しい
のイメージがあると思う
私も実際に良く言われる
私は自分では全然思わないのだけど、
確かに客観的に比較したら
優しい部類にはいると思う。

それも、少し優しいとかではなく
全力で優しい部類にはいると思う。

なぜ優しい部類に入りつつ
自分では「優しい」にピンとこないのか
そして、なぜ全力で優しい人間が
(弱そうなのに)
この世に誕生したのか
(創造主の意図はなにか)

ちょっと自分でも変だな、と
もっと上手な使い方ができないものかな、と
思ってきた人生だったので
INFJの優しさの理由を深く考えてみた。

遺伝要因

まずは遺伝的要因を考えてみた。
あくまで仮説だけど、
扁桃体が大きく、
いわゆるサイコパス(感情のない人)の逆であり、
リスク察知度が高そうだ
また、セロトニンなどの
何もしなくても幸福、系のホルモン分泌が少なく、
常になにか不安がありそうだ

人に嫌われるのはリスクが大きく、
不安になるため、
その不安を避けるために、
嫌われない行動をしがちなのかもしれない

臨界期育成要因

次に、臨界期(重要な学習がなされる限界の時期)
までの育成要因を考えてみた。
個人的には3歳までの育成は
遺伝子に匹敵するほど重要だと考えている。

この時期までに、INFJの多くが
下に兄弟ができた、あるいは親が頼りない系で
「助ける」=幸せ物質が流れる
のような学習をした可能性がありそうだ。

絶対音感
(3歳頃までにみにつく、音階を当てられる能力)
のように、
人助け=快楽が、無自覚に学習されてて
自他の境界線が曖昧になっているのかもしれない

だから、人のため、と思っているというより
自分のためにやっている、とどこか感じていて
自分が優しいといわれることに
ピンと来ないのかもしれない

物心ついた後育成要因

物心ついたあとの長い間も重要だ。

INFJの多くが、
「おや?なんだか多くの人と考え方が違うぞ?」
「やばばば」
と肌で感じだし、大きな孤独感や
恐怖に陥るだろう。

一方、他者にかけている部分も
たくさん目につくようになる
いじめの放置とか、無意味なルールとか

そのなかで
「あーれだけ他者が欠けてるんだから
自分にも同程度なにかが欠けてるんだろうなぁ」
と感じるようになり
きっと、
「自分には何かが大きく欠けている」
「きっと自分は知らずに誰かを傷つけてる」
と思いこむ経験が
あったのではないだろうか。

自分がズレてると自覚するごとに
人をたくさん不快にさせてると思いこみ
(多分実際はあんまそんなことない)
自己満足でもプラマイゼロに持って行きたい思いが
どこかにあると思う
(私だけ?)

何かが大きくかけている(かもしれない)分
人を不快にさせている(かもしれない)分
なにかプラスを与えないと、と思って
せめてってことで
優しい(っぽい)振る舞いをしているのかもしれない

補足

ここまで、
①遺伝要因(OS的にリスクや不安を感じやすい)
②幼少期育成要因(人助け=快楽学習をした)
③その他育成要因(社会とのギャップを埋めるため)
を説明してきたが、
ここからは
②「人助け=快楽」について
いちINFJの例として、文の事例を紹介する

・・・

人は所詮動物だ
イルカがショーをするのは
「周囲を楽しませるため」じゃない
餌を食べるため
そういうふうに教育されたイルカは
条件反射的にそうするしかない
INFJも、条件反射的に作られた
(INFJ限らず全てのタイプそうだけど)

母は赤ちゃんが好きだった
私が産まれたとき十分すぎるほど愛情を注がれた
けど、私が2歳の頃に赤ちゃんじゃなくなって
New赤ちゃんが誕生した

赤ちゃん好きな母は
当然のこと、弟に目が行く
「私も昔みたいに愛されたい」と
期待するほどに裏切られた「感」は強くなる
(一応だけど、母に悪気は多分全くない)

絶望の淵に立たされる
胸がざわつく、めまいがする
そこで目線をずらした
あ、もう自分はいいや
(男性の場合は末っ子がこうなりやすいかも
=本来J→Pに歪ませる
女性と異なり、
愛情より尊敬を欲する場合が多いから)

視点を自分からずらせば
期待がなくなる、絶望もなくなる
胸のざわつきもましになった

弟のために何かをすると母から喜ばれる
嬉しい
その頃から私の報酬系は、他人に握られていった
Fiを自分で殺してFeを得た

だから別に優しい訳では無い
ただドーパミンやセロトニンなどの
安心安全快楽快適を、
他者に握られる学習をしているだけ
自分を直視したくない、
という極めて自己中な理由によって

だけど、
今はFiを取り戻している
特にここ数年のわがままさ加減は半端じゃない

・・・いや、本当に半端じゃない

四方八方に迷惑をかけてる気がする
嫌なもんを極限までにしなかったり
察してほしそうなことあえて無視したり

まあ、やりすぎかなとは思う
けど
それがきっと
INFJの私にとっての、
大きな成長なのだと思う

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