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INFJのドアスラムについて

悪名高きINFJのドアスラム。
ほんと、色んなところで言われてる。

でも、INFJの残念なことは、
実は、ドアスラムに限らない。

ドアスラムは、表面に浮き上がる
氷山の一角のようなもので
内部はもっと、頻繁にあることが起きている。

そのあることとは

過剰な期待をされ、
過剰な期待をし、
癒着しすぎた社会を
切り離す行為。

これを、
ドアスラムに限らず日常的にしている。

INFJは(成熟度にもよるけど)
他者への期待が大きい。
他者への愛情も大きい。

他者への愛情>自分への愛情
状態になりやすく
自分の感情がわからなくなる。

世界と自分が一体化して
自分が消え去り
ときにそれが苦しくなる。

だけど、期待外れをして
「そういう人だと思わなかった…」
と言われると、
それこそ精神的に苦痛なので
なんとか期待にそおうと無理をする。

そしてその苦しみを溜め込み、
個人内で社会の癒着の切り離しを試みる。
何度も試みる。
「私が他者に期待しすぎただけだから」
と納得しようとして、
期待ゆえの怒りなどさまざまを
スルーしようとする。

何度も、何度も。

それでも
本当にどうしようもないとき
ドアスラムをするのだと思う。

ただ、私はこのドアスラム
本当に良くないし、直したいと思ってる。
(そして今、割と直せている)

そもそものドアスラムの原因は、
社会と自分が癒着して
一体化してしまうこと。

それは、
社会から感情を自分に
流入させすぎて
自分の気持ちがわからなくなったり

流入して出来上がった
自分の気持ちを
溜め込んでしまったり
そういう悲しい結果を引き起こす。

だから、本質的には
社会と自分を切り離して
自分が楽しむことが一番なのだと思う。

課題の分離そのものだ。
これが出来ている人は、
INFJか否かに限らずあまりいない。

社会の感情は
自分の感情ではない。
自分の感情が今なにか
楽しいのか、悲しいのか
点数をつけるでも何でもして
はっきりさせたり、

自分の気持ちを溜め込まないとか、
そもそも溜め込む必要のない、
本音を話せる人とだけ付き合うとか。

なかなか難しいと思うけど。

INFJがドアスラムで有名になりたくないし
「INFJだからドアスラムしてもOK」のような風潮も
変えていきたいと思うのです。

少なくとも
私がドアスラムされたら、悲しい。
「もっと早めに嫌なこと言ってほしかった」
って、思うから。

INFJが、きっとドアスラムをしても
結局罪悪感で苦しむ羽目になるだろう。

私の仲間たちが
そんなことせずに
幸せに生きていたら、嬉しいから。

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