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INFJの過去と今

INFJの私は、
今と昔でだいぶ性格が変わった。
特に、昔は、
周りから見たらすごくISFJぽい性格をしてたと思う
縁の下の力持ちとか、やまとなでしことか、
コツコツ努力やさんとか、
そういった言葉が似合っていた。

けど、ずっと心に理想主義があって
叶いやしないと見て見ぬふりしてた

こんなに、あらゆる手段を使って発信するようになるとか
思ってなかった

ということで、
INFJの過去を晒していこうと思う

注意として、INFJの情報はありふれているから、
なるべく見ずに書いていて、
INFJの過去というより、私の過去かもしれない。
なので、INFJすべての人に当てはまるというわけでは
もちろんない。

そして、INFJというより
I型、F型あるあるかと思うので

I型、F型の方は共感していただけると思う

・めちゃくちゃ人見知りだった

いや、人見知りとかいう次元じゃないかもしれない。
自分が何を考えてるとか、絶対悟らせたくなかった。
ほぼ何も、自分から発信できなかった。

なんでも「どっちでもいいよ」ってずっと微笑むしかできない
何かすると、変だとか違うとか言われて恥かくの嫌だったし。

自分のこと知られるの怖すぎて、
高校の時とか、バスでイヤホンの音漏れを気にしすぎて
3分に一回くらい外して確認してた。

(それが今、自らネットに「おすすめの曲!」とかいって
晒してるの、意味わかんないな)

それで、自己主張がないのをいいことに
よくつけこまれてよくなめられてた

今思うと、私が自己主張したところで
誰もどうも思わないし、

1ミリも地球に影響ないし
世界観が小さいというか
普通に世界が狭すぎて
その分、自分の割合が大きくて
あと生きてる時間も短かったから
「今ここ」の割合も大きくて

つまり、今ここの自分にスポットライトを感じすぎて
めっちゃ自意識過剰だったと思う

ましてや、宇宙がどうとか、
人生がどうとか、人に話せるわけなかった。

一度、中学生の頃、離人感が激しかった頃に
「起きてる時が実は夢で、夢が実は現実かも、とか
思ったことある?」って、朝学校行く途中に友だちに聞いてみた
文的にはめちゃ盛り上がる話題かなと思ったんだけど
本当に興味なさそうにしてたから、
ああやめよう、と思った。

学校にいると
なんだかみんなすごく地に足ついてて
自分だけ幼いみたいで恥ずかしかったし
同時に、ちょっとだけ、
こんな話理解できないって残念なやつらって思った。

だから、何も人に期待できなかったし
誰かと群れたいとも思わなかった
ゆえに、ずっと下を向いて微笑んで
出された課題をそつなくこなして
やばい、間違えて生まれてきちゃった…
というのを隠しながら、排除されないように
穏便に時がすぎるのを待っていた

それが今は
自己主張の塊みたいになっちまって><
うーん、バランス取るのって難しい。。

「聞く」専門だった(しかも洗脳されがち)

「はいはい、こんなんでいいでしょ」みたいに
ひねた能動性を持ちながら、
大人たちの言うことを、ほとんど受容し
ほとんどすべてを信じてた。

オウムの人って意外と
高学歴多いみたいだけど
多分あの頃の私だったら
入信しちゃってたかもしれない
かもしれないってか、してた確実に

「高学歴になったら全部ハッピーだよ」
「今勉強しないと将来ゴミ収集で人生終わるよ」
みたいなのをすごい信じて
世間的に良しとされること、謎に頑張ってた

今も覚えてるのは、中学の時
今思うとクソみたいな先生が
(余談、クソみたいな先生ほど生徒に好かれるの
なんでなんだろうね?)
「百人一首を覚えなさい」
「こういう教養は、一生役に立つから」
みたいに言ってて、毎日5個位のうた、必死に覚えてた

誰も覚えてなかったのに、自分だけ真に受けてた
当然、あんま評価してもらえない

あとは小中学校9年間、
「体調管理は社会人になったら必須だからね」
みたいな言葉を真に受けすぎて、
熱の日も無理して学校に行ったりして
謎に皆勤賞(しかも無遅刻!)だった

今思うと社会人でもさすがに風邪とか普通に休めるし
学校なんて行く価値ないのに
とんだ時間の無駄だったなと思う

そんなもので、
たくさんの嘘に騙された(と思ってる)ので、
今は逆に全然信じれないで
冗談半分に受け流している

少なくとも、私の、いま周囲にいる人達の答えより
私が人生経験で得た答えのほうが
よほど正しいと思っている。
でも全然まだ未知の領域もあるし
そういうところは頑固にならず開いた姿勢を取りたい

昔の私のまま、頑固でいたら
間違いなく他人の足跡ふんで一生を終えたと思うから

保守的で伝統好きだった

今はめっちゃ革新好き
ICT支援員やるくらいだしね

多様性が好き、海外が好きで、
自分と異なる考え方を知るのが好き

昔もそうだったけど
それよりも、保守傾向が強かった
前述のとおり、それなりに学歴信仰はあったし
Twitterは2015年にようやく始めたし
スマホも別にずっと欲しくなかった
寂しいとかなかったから
誰かと連絡取るのもだるいし

新しい考えを好む一方
昔の考え方をすごく重視して、
考え方もすごい古風だった
だから常識的な人が好きだった

それが今は真逆ですよ!!

マイルールがたくさんあり、偏食だった

意味わかんない自分ルールが死ぬほどあって、
一日を過ごすのも大変だった

例えば、動作を行うときは左から右でないといけない、
大事な場面の前には必ず喉の調子と鼻の調子を整えないといけない
服装はちょっときつめじゃないといけない
とかとか、10何個くらいあったと思う
(今殆ど忘れた)

そして、食べれないものも
とても多かった
今もヨーグルトだけ本当に無理だけど
それ以外はまあ、なんとかって感じ

昔は、チーズもなすもトマトも、本当に死ぬほどあって
ほぼ何も食べれなかったのではって感じ
詳しくは↓

いまはむしろ、平均より細かいこと気にしないかも
こんなに克服できるとは…

だいぶ生きやすくなったよう…

単純に「楽しいこと」が出来なかった

そんな人間居るの?と思うじゃん
いるんだな、これが

良薬口に苦し、というか
苦しいことのほうがやる価値あると思ってた
勉強とか、学校で一人で居るとか

弟とか母が「楽しけりゃなんでもいいじゃん!」
みたいな人だったんだけど
それが意味不すぎてつらかった

それで、大学時代に
人生についての本を読みまくって
「あ、人生って、意味ないんだ」ってわかって
はじめて、
もうこっからは楽しむことしかしないようにしよ!!
って思って、今に至ります。

もう、楽しいことしかしません

(とはいえ、長年の癖は抜けず
「何が楽しいんだろう」って考えても
最初は自分が何を楽しいと認知するかすら
わからなかった
だいぶ成長したなあ、、、、)

変な人を勝手に仲間だと思ってた

こんな感じでずーっとアウェーで
居場所感のなさがあったから
学校で「おや…?こいつちょっと頭おかしいぞ?
と思う人がいたら、勝手に仲間にしていた。

そういう人は、
「変なやつ」と思われてる私にも
臆すること無く(?)話しかけてくれる。

ギャルっぽい子だったり、
同じくちょっと浮いてる子だったり
色々だったけど

世間とかけ離れすぎてる私にとって
有難すぎる存在だった。

勝手に理解者にしてごめん

そして、今も、同じくらい変な子とか
共感してくれる方がいてくれるから
発信をしている

要するに、いつもコメントありがとう、というわけだ!

そして、何よりみなさんが
私の発信を見て
「あぁ、私だけじゃなかったんだなあ」と思ってくれたら
すごく嬉しいです。

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