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大切なのは〇〇〇〇〇ではない




発達障がいや

軽度知的障がいを持つ

子どもの親として


また、塾の指導者としても

思うこと…


それは、

大切なのは《ラベリング》
することじゃないっていうこと。



(ラベリング…分類する。
 レッテルを貼る)



確かに、

診断がおりたときは

どうしようもなく泣いた。


でも、それは

発達障がいだったから

知的障がいがあるから

というよりは、




この日本社会で

この子は

生きづらくなるのでは、っていう

不安が押し寄せてくる感じかな。




同じようにできたら

褒められる



まだまだ、

そんな風潮が

根強いから


親も不安になる。




だから、


『うちは、

発達障がいとは違うんだけど…』



とかいう前置きを


言いたくなってしまうような


心理が働くんだろうなって考える。


わかる。そりゃそうなるよね。



診断は、

どのようなアプローチを

すればいいか知るための指標であって


異質とジャッジして

排除するためのものではないのに。




私はHSP気質があるなっていう

自覚があるんだけどね、



HSP関連の投稿みると

わざわざ

『発達障がいではないけれど』

っていう前置きがあることが多い。




発達障がい=神経発達症

その時点で、

ネガティブなイメージ〈だけ〉が

入ってないかな?って思う。




いや、私だって

診断うけてないだけで

わからないよ。



画面が小さくて見にくかったとはいえ

ネットスーパーで

子どものおやつ🍠

間違えて

ワンちゃんのサツマイモスティック

注文したんだからね…2袋も。




発達障がいって


結局、ここからはどうとかいう

線引きがはっきりと

あるわけじゃないから

難しいんだけど



大切なのは


自分を知ること


目の前の人を知ること




そして、大前提の知識として


いろんな困り感を抱えながら


過ごしている人が


世の中にはたくさんいて



その困り感は


人それぞれに違う。



それらを知ることで


受容できることも増える。





そして


どんな個性・特性だったとしても


万人から好かれるなんて


無理な話だから


どうしても合わない人は


そっと離れていけばいい。



そう思うんです。




だから、


どんな個性の子も


その子の特性を受け入れなければ


二次障害的なものが出てくるはず。



なんでも一長一短あるんだから




多様性をもっと


リスペクトできるような


社会になったらいいなって



心から思います。

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