白壁の村に魅せられて スペイン・ミハス

画像1 旅行会社のパンフレットの影響かもしれないが、白壁の村という言葉には非常に魅せられる。
画像2 スペインの太陽海岸にはそのような村がいくつかあるようである。フリヒリアナ(Frigiliana)、ミハス(Mijas)、アルテア(Artea)などが代表的な村であるようである。
画像3 数年前にはアルテアを訪問したことがある。その街の海岸沿いでステーキと大型プリンを戴いた。通常はデザートは注文しないが三点セットのメニューであったのでプリンは自動的に付いてきた。すぐ隣のテーブルに座っていたストックホルム出身のスウェーデン人達と話が弾んだ。彼らはスペインに移住して二十年間を経たところだそうであった。スペインでは仕事をしているのか、もしそうであるのなら何の仕事をしているのかを訊ねなかったことは今でも後悔している。
画像4 スウェーデン人達と話のタネも無くなったころ、滞在先のベニドルム(Benidorm)への帰路に着いた。帰り道の車の中で気が付いた、肝心の白壁の村を見なかったことに。海岸から離れたところであったのだろうか。海岸沿いを散策した時はそのような景観は視界に入らなかった。方向音痴にも限度があるはずであるが、これは現在でも謎である。
画像5 上述の如く、自力で観光をすると失敗も多い。日本のパッケージツアーはやはり便利、とも思ったが、考えを翻した。日本でミステリーツアーというバスツアーに参加した時のことである。景勝地にてバスから降ろされ一時間程自由時間を戴いた。ゴミと海藻に覆われた海岸を首を傾げながら散策していた。一時間後ツアコンのかたが慌てて走って来た。「すみません、この海岸じゃなかったそうです。でも本物に寄っている時間はないのでこのまま続行します」。3㎏分のお土産を戴いたので、取りあえず高評価は付けておいたが複雑な心境ではあった。
画像6 今回はミハスに自由旅行。失敗をしたとしても自業自得。行き方を検索したら、マラガからRENFE(電車)で最初にフエンヒローラに行って、そこからさらにバスに乗ってミハスに向かう。結構面倒な行程であったが、落ち着いて考えてみたら、私が滞在していた町はフエンヒローラであったため、ミハスはバス一本で訪問が可能であった
画像7 フエンヒローラという街は、街名を舌を噛まずに発音することが難しい点を除けば、可もなく不可もなく、しかし再び訪れたい太陽海岸沿いの街であった。ミハスから地中海を見降ろしたところにフエンヒローラは所在している。バスにて25分ぐらいの所要時間で到着する。バス(Avanza社)のチケットはフエンヒローラから出発の場合、ダウンタウンのターミナルにて購入できる。片道2ユーロぐらいであろう(現金のみ)。
画像8 果たしてフエンヒローラの何が気に入っているのか?皆様のように文化人ではない私は、海岸線が長くて、砂浜があって、レストランが林立していて、好きな曲を演奏するライブパブとディスコがあって、モヒートの美味しいカクテルバーが見つかり、(ついでに大きなショッピングモールなどがあれば)、それだけで満足なのである。フエンヒローラはベニドルムほど若者が多くも俗っぽくもない。
画像9 ミハスを訪ねたのは2019年クリスマスの直後であった。洗剤の箱で作られたクリスマスツリーが飾られていた。
画像10 この白い村も、15世紀の頃には戦争に負け、住民が奴隷として売られてゆき、海賊からの度重なる襲撃に苦難を強いられたこともあるらしい(Wikipedia)。
画像11 中央広場においてはロバの鳴き声が輪唱していた。馬にせよロバにせよ、そのすぐ背後で撮影をすることは奨励できない。理由はご想像の通り。
画像12 ミハスの街並みは一見、カスバのように見えないこともないが、その中を歩いてみると、村の街並み意外に整然としていた。
画像13 旅行に行く時は、週末旅行でも大抵は空の大型スーツケーツを持ってゆく。旅行中に(特に誰にとでもなく)お土産を購入することを趣味としているからである。「断捨離」というコンセプトは一応知っている。
画像14 ここミハスでは、ミハス特有の花から作られた押し花のブローチを友人と自分用に購入した。Amapolo(アマポーラ)という店にて6ユーロ程度。スペイン語が流暢な日本人男性が働いていらした。あれほど多くの日本人観光客を拝ませて頂いたことは何年ぶりであろうか。バスルームの前に長蛇の行列が出来ており、その空間だけは日本のパッケージツアーであった。
画像15 私は自由旅行なので奥の方まで歩いてゆく時間があった。時々、廃墟になっている家屋を見掛けた(撮影した)。廃墟の中には捨てられた服の山、壁への落書き等が見られた。そこにかつて住んでいた人々は一体どこに行ったのであろうか。
画像16 おそらくこの村には雪は降らない、と願いたい。雪が降って居なくてもこの急坂を乳母車などを押して降りたくはない。家の窓から臨む景観は絶景であろうが。
画像17 昼食を戴いたレストラン。懲りずにステーキとプリン。味とサービスに関してはノーコメント。
画像18 闘牛場、時間があれば見学しても良かった。スペイン在住のMiyukismさんによればカタルーニャ地方(バルセロナ)では闘牛が禁止になっているとか、誤解であれば訂正を頂けたら有難い。
画像19 旅行会社のパンフレットにて美しく映える村は、実際に訪れても美しいということを再認識させられたある冬の午後。
画像20 クリスマス直後に拘わらず緑。冬の間はスペインに住みたいものである。汗腺が退化してしまい酷暑は堪えられないため、夏はスウェーデンか北極に住みたい。
画像21 この日の締めくくりはフエンヒローラにて日本料理、東京を通り越していきなり長崎の角煮まんじゅうであった。このあたりで頻繁に見掛けたのは、イタリア・インド・メキシコ料理フュージョン・レストラン。ピザもナンもトルティージャも小麦粉ベースであるため再利用が可能であるということか。写真上のさざれ石の小皿は粋。我が家でも使ってみたい皿ではあるが手入れの面倒さを考えると来客時ぐらいしか活躍の場がないであろう。スペイン太陽海岸、果たして次回はいつ訪れられることか。