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Kさんのこと

※画像は「ふくちゃんのホームページ」様よりお借りしました。

「一粒の麦 血に落ちて死なねば ただ一つのままである。
しかし死ねば 多くの実を結ぶ」聖書より

三浦綾子著 塩狩峠 
に出てくる聖書の言葉だ。

 とうとう裁判が始まった。
調停不成立となり、裁判へと移行した。

離婚と共に親権を争う。
そんな内容だ。

嘘だらけの相手方の調書を読み、
失望と悲しさと虚しさが一気に押し寄せる。

10年に渡る結婚生活は一体なんだったのだろう。

私は全く知らない人と生活を共にしていたのだ。そうだ、きっとそうだ。

そう考えて無理矢理自分を納得させなければ、精神が保てないほどの調書内容だった。

簡潔に述べれば「自己賞賛調書」。
わたしにはそう見えた。

 実はわたしには調停開始時から現在に至るまで、持ち歩いては読み返している、いわば御守りのような文集がある。

徳島のKさんの文集だ。

Kさんは至って普通の学生時代を過ごした。
大学を卒業後には就職をし、趣味の音楽活動などをしながら普通の生活を楽しんで送る予定の、ごくごく普通の青年であった。

しかし、だ。

ある日、しこりのようなものが首あたりにみつかり、受診した。
結果は「大したことのないもので、放っておけば自然に治癒するはずです」との医師の言葉だった。

それからしばらく経ったころ、そのしこりは見た目でもわかるほどになり、再度受診をする事になる。

その受診時に、医師の顔色がみるみる青ざめ、ただごとではないと察したらしい。

すぐに緊急手術となり、かなり難しい場所で成長してしまったその腫瘍を上手く摘出できず、麻酔から目が覚めた頃には、首から下が一切動かなくなっていたそうだ。(Kさんはその後、誤診した大学病院を相手取り訴訟を起こし、一部勝訴をおさめた。)

それから、約30年以上にわたる療養生活が予告無しに始まったのだ。

それまでの夢も、恋も、楽しみも、自由に出かけることも、用をたすことも、身体の痒いところをかくことも、一切自分でできなくなったのである。

頭はハッキリしているのが余計に苦しさを助長したそうだ。

死にたくても死ねない。

それが30年あまり。

想像できますか?

この苦しみが。

わたしにはできないし、
まず、想像する勇気がない。

Kさんの苦しみを思うと、
私のいま抱えている問題が小さく思え、
調停や裁判の苦しみや重みがあまりにも
軽く見える。

Kさんは長い療養生活を終え、
2年前に旅立った。

Kさんとは一度お会いしたけれど、
ユーモアと率直さが混じり合うような、
素敵な方だった。


裁判の日、私は必ずKさんの文集を手元に置いている。勇気が湧いてくるからだ。
あなたの乗り越え切った試練に比べれば、
私のなんて小さすぎる。

Kさん、生き抜いてくれてありがとう。

地に落ちたKさんの種は、確実に身を結んでいますよ。






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