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ガチな起業話:その1 Microsoft を辞めた日

私が Microsoft を退社することを決めたのは1999年12月のことです。98年に、私が「ブラウザー上で Office アプリケーションを動かす」というビジョンで立ち上げたNetdocs というプロジェクトが、社内政治の結果、当初のビジョンを失った巨大なチームに変貌したことに嫌気がさしていたところに、友人から勧められた「イノベーションのジレンマ」を読んだ結果、Microsoft のような大きな企業で働くことに、強い危機感を感じ始めていました。

その頃、Bill Gates と直接話す機会があり、「今の時代はスピードが重要だ。小さなチームを持ってイノベーションを起こしたい」と提案したところ、「小さなことはベンチャー企業でも出来る。僕らの役割は Microsoft にしか出来ない、大きなことをすることだ」という返事が返って来たのにはとてもガッカリしたのを良く覚えています。

Windows 95の時は、コアの開発に関わっているエンジニアは30人ぐらいしかおらず、仕様書も作らずに、毎日大量のコードを書いていましたが、その頃になると、どのチームも肥大化し、生産効率が極端に落ちていました(Windows Vista の場合、エンジニア一人が1日に書くコードは平均して 1.5 行だったそうです)。

研究部門(Microsoft Advanced Research Group)で働いていた昔の上司からは、「ここは好きなことが出来て楽しいぞ」と誘われていたのですが、まだまだ働き盛りだと感じていた私は、研究部門に引退してしまうのはもったいないと思い、断りました。

その上司がいた研究部門は、当時から自然言語を研究していた部門で、今ではニューラル・ネットワークの研究で世界の最先端を走る超一流の研究者を抱えています。しかし、当時は、人工知能研究はまだまだ「冬の時代」の真っ只中で、私のようなエンジニアからは「無駄なことをしている」という目で見られていたのです(エンジニアたちからは Advanced Retirement Groupと揶揄されていました)。

給料や福利厚生、ロケーション(家から5分)、そしてまだ Vest していないストックオプション(後述)のことを考えれば、Microsoft にそのまま残ることが最も賢い選択だったのですが、「Microsoft から飛び出して自分で会社を作ってみたい」という思いが日増しに強くなっていました。

そこで相談に行ったのが、Windows 95/Internet Explore 3.0/4.0 のプロジェクトを率いていた Brad Silverberg です。Brad は、Internet Explore を武器に Microsoft のインターネットビジネスを立ち上げようと試みたのですが、同じく Internet Explorer を武器に Windows ビジネスを大きくしようとしていた Jim Allchin との勢力争いに敗れ、私よりも一歩先に会社を辞めていました。

私が正直な気持ちを伝えると、「私はちょうどベンチャー・キャピタル(ベンチャー企業向けの投資会社)を立ち上げようとしているところだ、良かったらそこに参加しないか?」と提案してくれました。

とは言え、Microsoftを辞めるにはとても勇気が必要でした。日本での3年間を合わせると13年以上働いていた会社で、信頼している同僚も沢山いるし、待遇もとても良かったのです。

金銭的な面で、最も心苦しかったのがストック・オプションです。ストック・オプションは「株を現在の価格で、未来に買う権利」ですが、すぐには行使できません。もらってから2年目に一部が行使できるようになり(Vesting と呼びます)、4年在籍していると始めて100%行使可能(Fully Vested)になるのです。

株と違って、オプション(株を特定の価格で買う権利)なので、株価が上昇していない時には一銭にもなりませんが、株価が大きく上昇すると、給料の何倍にもなるお金が貰える仕組みです。

当時は、Microsoftの株価が急上昇していたこともあり、私の持っているストックオプションの含み益は莫大な額になっていました。

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