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自宅安静生活#1第一子の切迫早産を振り返る

現在切迫早産により自宅安静中。実は7年前、第一子の時も同じく切迫早産になった。今振り返ると多分今回と同じ28週の定期検診だったと思う…。

切迫早産の前兆は?

第一子の時は正直全然分からなかった。お腹が張るということが割と良くあって、最初の頃は診察の度にそれを伝えていたけれど、毎回特に問題がなかったので、いつの間にかそれが当たり前になっていた。

あの日はあと1ヶ月で産休なので、お世話になった方に挨拶に行き、午後から(恐らく28週の)定期検診へ向かった。

内診後、先生がバタバタし始め、急遽NST検査へ。子宮頸管が短くなって、定期的にお腹が張っていること、通っていた産院は通常分娩にしか対応できないことから急遽大きな病院へ移動することに。事態の大変さがよく分からないまま、夫に連絡し、移動することになった。

救急車で大学病院へ

病院前には救急車が呼ばれ、ちょっとざわざわする待合室を通り、看護婦さん達に「頑張って!」と励まされつつ、付き添いの看護婦さんと共に人生初の救急車に乗る。一緒についてきてくれた看護婦さんが「大丈夫ですよ。」と励ましてくれる。確かあの時の私は事態の大きさがよく分からずに、不安というよりなんだなんだ?、という感じで突然のことに全く気持ちがついていかなかった。

そして大学病院につき、担当の先生に「旦那さんは?」と聞かれ、「仕事の引き継ぎしてからくると思います」と悠長に答えて一刻を争うこともあるんですよ、と怒られた。幸いにも夫はそのやりとりのすぐ後に到着した、私の状態も一刻を争うほどではなかった。

退院できるのか?

結局、切迫早産ということで、ウテメリンの点滴注射をし、しばらく入院することになった。

点滴から飲み薬に移行できれば退院もできるとのことだった。とにかく全く予期しないことだったので、仕事のことが心配で早く退院したいと思っていた。一週間後、点滴の減量にトライするも、量が減るとお腹が張るため、減量できない。何日かモヤモヤする日々だったが、何回かそんなことを繰り返し、仕事復帰は諦めた。

入院生活あれこれ

入院生活はとにかく暇だった。3食昼寝付き。2日に1回のシャワーが楽しみだった。

大学病院だったので、担当の先生は、新卒っぽい若い先生、もう少し経験を積んだ先生、さらにベテランの先生という3人1組で対応していただいた。基本は若手の最初の2人が対応してくれた。毎朝、朝食前後に先生が顔出し軽く問診、朝食、午前の回診、昼食、(シャワー?)、夕方の回診、夕食というようなスケジュールだったような。合間に看護婦さんがNST検査などに来てくれていた気がする。この辺りは流石に記憶が怪しい…。

大学病院なので当直もあるらしく、先生って仕事は本当に大変だな、と思ったのはよく覚えている。

入院中はトイレ、シャワー以外は基本的にベッドの上。夫がお見舞いに来てくれた時は、車椅子に乗って売店へ行ったりもした。小説を買うも、とにかく暇なのですぐ読み終わってしまう。それならば勉強でもしようかとテキストを持ってきてもらったけれど、それは重すぎて、結局殆ど開けなかった。

子供用のぬいぐるみとキットで買ったタティングレース作りは良い気晴らしになったような気がする。

結局、元の病院に戻れる36週まで大学病院にお世話になって、その後元の病院に戻った。看護婦さんや先生が良い方達ばかりで、また同室の妊婦さんとも仲良くなり、振り返れば楽しい入院生活だった。

今だからあの時やっておけば良かったと思うこと

退院後2日で出産したので、結局自宅で過ごす産前産休は殆どなかった。産後は小さくて寝てばかりの赤ちゃんだったが、二週間の里帰りを終えたぐらいから体力がついたのかよく泣くようになり、そこからは慣れない育児で怒涛の毎日だった。

今思うとあんなに暇で時間を持て余した贅沢な時間はなかったと思う。第一子のマタニティライフはとにかく浮かれていたので、いかに楽しいマタニティライフを送るかということばかり考えていた。

子供の教育に興味がでたのは子供が一歳ぐらいになったあたりだったと思う。興味がでると、世の中には色々面白い本もあって、読みたい本・知りたいことでいっぱいになった。あ〜、もっと早く気づけば、あの入院中に沢山本を読めたのに、と思ったが、まぁこればかりは育て始めないと気付かないこともあるししょうがない。

そして今。2回目の切迫早産による安静生活はすっかりベッドでゴロゴロ、携帯を見る日々が定着しつつある。もちろん気になる本も読んでいるけれど、携帯見ている時間が長い…反省。

この貴重なゆとり時間を今回は有意義に使えるように、少し考えようと思う。

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