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リワークは「実存的不安」を乗り越える場所ではない、と思った方が気が楽になるかもしれないという話

 こんにちは、すぱ郎です。
 プロフィールにも書いていますが私はここ数年の間に心の調子を崩して休職していました。今は割と普通に働いていますが、また同じことを繰り返さないように無理のない範囲で心理療法や休職に関して自助努力を継続しています。そんな中で、先日偶然目にした『「働くわたし」を失うとき(著:野田実希)』という本が気になって手に取りました。
 とても面白い内容ですが内容が専門的(学術的)で読み進めるには時間のかかる分厚い内容だと感じたので、少しずつ読み進めています。その本の中で、「実存的不安」という言葉が目を引いたのと同時にタイトルにあるような事が脳裏に浮かんだので書き留めておくことにしました。

はじめに

 「実存的不安」とは、一言で説明が難しいですが『選択の自由に対する不安、孤独に対する不安、親密な関係に対する不安、死に対する不安などといった「いかに生きるかという悩み」』を意味します。下記リンクが理解の参考になると思います。

 このように、目の前の課題や問題というよりももっと根本的な「自分の生きる意味」といった、どちらかというと漠然とした不安を「実存的不安」と呼ぶようです。
 今振り返ると、自分の休職中には大きく分けて2種類の不安があったように思います。それは「職場で生じた具体的な出来事に対する不安(現実的な不安)」と、「休職という挫折経験から生じた自分のこれまで・これからの人生に対する不安(実存的な不安)」の2つです。その2つに優劣は無いと思いますが、私の場合は特に休職初期の時期は後者の「実存的な不安」の方が圧倒的に強かったと感じています。そのせいで仕事を休みながらも常に漠然とした不安に襲われていてくぁ、中々心身共に休むことが難しい状態が続いていました。
 この「実存的な不安」に対する向き合い方は現時点では上手くその答えを言語化できていません。いくつか参考になる考え方や書籍はあるものの、今手元にあるそれらだけでも中々難しいと感じています。もう少し自分の中で整理が出来たら、まとめてみたいと思っています。

リワークは「具体的な問題解決の手法を身に付ける」という性質が強い場所である

 話をリワークに戻したいと思います。あくまで自分の通っていたリワークでの観測範囲内での話ですので、全てのリワークがそうだという訳ではないと思います。
 リワークに通い始めた当初の自分の気持ちとしては、「今の状態で復職しても、また再発するのではないかという不安が強くて復職出来ない・自信が無い」という思いや、「これから先の人生をどう生きていけばいいのか分からない。希望が全くない」といったような、どちらかというと漠然とした思いが非常に強かったと記憶しています。担当者との面談でもこのような事ばかりを困り事として投げかけていたので、今思うと当時とても困らせていたのではないかと思います。実際、初めは具体的な助言らしい助言は得られずに、半ば義務的に通いながらひたすら本を読んだり心理士の先生に相談したり参加者同士のワークで思いを吐露する日々を送っていました。
 リワークで学ぶ事は、例えば「自分の病気の理解を深める」であったり、「認知行動療法あるいはマインドフルネスといった効果があると言われる心理的なセルフケアの手法を学ぶことで、日々の気分の乱れや生活習慣を安定的にコントロールする術を身に付ける」であったり、「発症し休職に至った原因を分析して、復職するにあたっての具体的な課題を相談しながら解決していく」といった内容が挙げられるかと思います。当たり前ですが、この中に、最初に自分が悩みとして挙げていた「自信が無い」であったり「希望が無い」といった漠然とした不安はそもそも解消する対象として見られていません。だからリワークが良くないとかそういう事ではなく、リワークとはあくまで「現実的な課題を解決するための手法を身に付けるための教育を受ける・学習する場所」だという理解をしておかないといけないという事です。漠然とした悩みをいくらそこでぶつけても、それはリワークという場で解決する事は中々難しいよね、と、当時の自分に言ってあげたいです。じゃあどこで解決できるのかというとそれはまた難しい問題ですが…。

「実存的不安」と「現実的な不安」を自分の中で切り分ける事も大切

 けしてこの記事はリワークを批判したいわけでは無く、とにかく休職初期はありとあらゆる不安で圧し潰されそうになってしまう方が多いと思いますが、その時期を少し超えてリワークに通ってみようかなと思った段階で、「自分の中にある不安」を少し冷静に類型化しておいた方が良いかも、という事です。特に自分の場合は上記の見出しにあるような切り分けを当時は全く考えていませんでしたが、少し冷静に考えることが出来る時期であるならば、その2種類の不安を自分の中で分けて考えていけるようになると、その後の社会復帰もスムーズにいきやすいかもしれないと思っています。あくまで自分の経験でしかありませんが、前者の悩みはそう簡単に答えや対象法が見つかるものではありません。一方で後者の不安は具体性を上げれば上げるほど、現実的に自分が取りうる行動や思考が見えてきやすいです。他人に相談して前進しやすいのも、明らかに後者だと思います。「どんな話でも遮らずに聞いてくれる理解のある人」が傍にいるのであれば、その人に前者の不安をある程度投げかけるのももしかしたら良いかもしれませんが、そうではないのであれば、前者の問いかけは中々相手にも負担を強いるなと過去の自分を振り返って思うので、今ではよほどのことが無い限り、前者の不安を誰かに相談する事はあまり自分はしなくなりました。もしかしたら、これもある種の「境界線(バウンダリー)」の引き直しに通じるのかもしれません。

おわりに

 極論ですが、「実存的不安」を解消する事はもしかしたら一生ないのかもしれないと今の自分は思っています。「解消できない」ではなくて、「生涯を通じて考えていかないといけない事」なのかもしれない、という意味です。一生苦しみ続けるという訳ではなく、乗り越えたと思ったらまた次の波が来て、それを乗り越えたと思ったらまた次の波に翻弄されて…という具合に、生涯を通じて「実存的な不安」は付き合っていかないといけないものなのかもしれないなと、今は思っています。そう思うようになったからこそ、「リワークでそれを解消しようと思うのは多分ちょっと違うんだろうな」と思い直す事が今回あったので、この記事を書いてみることになりました。
 今現在休職中で悩まれている方で、少し「これから」の事を考える余力を取り戻せている方で、リワークの利用などを検討している方がいれば、上記の様なポイントは少し意識してみても良いかもしれません。「弱音を吐くな」というわけではなく、「過度な期待を抱いて失望から絶望に落ちない」ために、それは必要な事ではないかと思っています。
 人生は、どうしてもその時々に応じて脅威に晒され、不安を掻き立てられ、希望を見失う事があると思います。そういった時に絶望に圧し潰されないように、自分の心との向き合い方を考えていく事は、失敗した人はそれぞれが考えていかないといけない事だと思います。
 最後の最後で自分を支えたり、癒したりすることが出来るのは、「自分自身(あるいは自分が起こした行動の結果)」だと思います。もちろん素晴らしい出会いがあって他者に支えてもらった、変えてもらったという方も少なからずいると思いますが、そうではない場合もあるという現実も、ある程度織り込んで生きていった方が酔うと思います。であればこそ、他人に頼る領域を見誤らずに、ほどよい距離感をもって生きていくということはやはりとても大事だと思います。大分とりとめのない話が続く記事になってしまいましたが、これからリワークの利用を考える方にほんの少しでも考えるきっかけや参考になればと思います。「実存的不安」は厄介なだけに、おいそれと他人にどうにかしてもらおうとすると却って自分が傷つく結果になるかもしれないので十分お気を付けください。

 私のnoteでは、心理療法を独学で取り組んでいる方向けに、自身が過去に取り組んでみた心理療法の感想やそれらに類する事で気付いたポイントなどを当事者目線で記事にしていきたいと思っていますので、興味のある方はまた読んで頂ければ嬉しいです。それでは。

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