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第1章:学習管理の理想と課題

本記事は、「誰でも合格る!学習管理システムの構築と運用」の第1章である。

目次

親記事は以下を参照:

第1章では理想的な学習管理の方法とその実現を阻害する課題を検討する。最初にそもそも問題に解答するとはどのような行為かを明らかにした上でその理解を基礎として、何を誰がいつどこで学習するのかを、私の体験に基づいて記述していく。

なお、課題については、学習時間が十分取れる学習者にとっては課題とならず、物量でねじ伏せることができるものがほとんどである。ここでは学習時間が限られる学習者を念頭においている。


問題に解答するとはどのような行為か

ここではまず多くの章に共通して登場する概念を整理する。

学習する内容とは

まず、学習する内容について説明する。

我々が学習する内容を抽象化して表現すれば、定義と条件式の2つである。定義とは、「AはBである」、というものや、「Aはa1,a2,a3から構成される」、という形式のものである。

公認会計士試験でいえば、「資産とは、過去の取引または事象の結果として、報告主体支配している経済的資源である」、「所得税は、配当、不動産、事業、給与、譲渡、一時、雑、退職、山林、利子10種類の各種所得から構成される」、といった内容である。

条件式とは、「もしAの場合は、Bである」、「もしAかつBの場合は、Cを行う」、というものである。

同様に具体例を出せば、「ファイナンス・リース取引の場合は売買取引として処理する。オペレーティング・リース取引の場合は賃貸借取引として処理する」、「現物出資者である発起人・財産引受の譲渡人である発起人以外の発起人設立時取締役は、検査役調査がない発起設立の場合は、過失責任を負う」である。

問題を解答するときに主に使用する知識は後者であり、前者は(とりわけ高難易度の試験では)直接問われることは少ないが、後者の前提となる場合が多いため同様に重要である。これらの定義と条件式が大量に、ある程度整理されて記載されているものが、テキスト、教科書と呼ばれるものである。

問題に解答するとは

問題文にはある状況が記載されている。

状況という言葉の含意は、ある主体が何かを行うのだが、いわゆる5W1Hの記載があるため行うべき何かが一意に定まるという、そうした複数の条件を意味している。その状況では、上記の条件式に合致する条件や、場合によっては使用しない条件(ダミー、などと呼ばれることがある)が陰に陽に読み取れるようになっている。

こうした条件を適切に読み取り、学習した条件式を想起し読み取った条件を当てはめ、さらに記述式の場合は解答形式に沿った形式に変換し解答する。これが問題に解答するという行為であると考える。

日々の学習では、前提としての定義群と条件式群を想起できるようにすることが求められる。また、模擬試験や答練(案作成習)では、問題文で与えられる状況から条件を読み取り、条件式を想起し、当てはめ、解答形式に準じて解答する、といった各プロセスの訓練が行われる。

以上は短答式試験(選択肢選択型試験)や論文式試験(記述式試験)の別、各科目の特性をまったく考慮していないため、現実に学習する際はもう少しチューニングが必要ではあるが、ざっくりいえばどれも同じである、というのが試験が終わった現在の感想である。

学習するとは

以上を踏まえ、私は学習とは、定義群と条件式群を、①体系化・構造化・図解化し、②それらの①を繰り返し想起することの2点であると考えている。もう少しざっくり言えば、①まとめて、②おもいだす、という2点である。

余談ではあるが、「日々の学習ではまず理解が大事」「直前期は暗記も大事」などの助言があるが、私にはこれらの言葉は、「美味しい料理は、美味しい」のような同義反復的な、空虚な言葉に聞こえる。もう一段階具体化したアクションの定義が必要ではなかろうか、という問題意識を抱えている。

定義群や条件式群は問題解答に必要な知識であるが、いかんせん量的には膨大である。難易度にもよるが、よく会計士受験生が予備校から届いたテキストが自分の身長ほどある、といったような表現をすることがある。

河野玄斗氏のYouTubeより:
https://www.youtube.com/shorts/jugFmtZV0Qw

しかし、量の膨大さはさほどの問題ではない。問題は、それらがあまり整理されて提示されていないことにある

まとめる(=体系化・構造化・図解化する)

まとめるという行為について深掘りする。

学習すべき定義群と条件式群が整理されていない場合、それらの一つ一つを記憶する必要があるため、記憶すべき量が多い。また類似した概念に惑わされて誤って記憶してしまう危険性もある。そのため、体系化し、図解化し、構造化することで、できるだけ整理する必要がある。

体系化、図解化、構造化、といった言葉の違いは、以降さほどの意味を持たせないが、次のようなニュアンスで捉えている。

  • 体系化とは、要素を網羅的に洗い出し、分類することである

  • 構造化とは、体系化した要素を行と列からなる表形式にまとめることである

  • 図解化とは、体系化した要素を相互の影響関係や時系列を明示してまとめることである

以降はまとめる、と表現することとする。

予備校が提供するテキストは当然この点を意識しており、多くの図表が掲載されている。図表をまとめたサブテキストを別途配布する予備校もある。講師によってはそれらに加えて独自のまとめを提示することがある。

特に学習の初期はこれらの有用性を看過して積極的に記憶しようとは思わない傾向にあるかもしれないが、そこにまとめがあるということは、出題可能性が高い重要な箇所であったり混乱しやすい箇所であることを意味する。積極的に学習すべきだろう。

しかし、それらのまとめには、量が少ない(まとめやすい部分がまとめられているがまとめるべき部分がまとめられていないことがある)、まとめ方が悪い(情報を構造化して把握する意識が低いためか整理されて提示されておらず想起しづらい)、真面目すぎる(語呂合わせのような「俗悪」な手法が少ない)、などの問題があるように感じる。

バラバラな学習単位を整理してまとめるために、具体的には体系化や図解化、構造化といった手法を利用するのが有用である。この点の具体例については後述したい(第4章)。

おもいだす(=繰り返し、想起する)

公認会計士試験のような学習量が膨大な試験においては、学習期間の中で、おもいだすという行為にかける時間の割合が一番高くなる。機会があれば概算を出してみたいところであるが、ざっくりと振り返ると、テキストを読んだり講義を聞いたりする時間が2、定義群や条件式群をまとめる時間が1、おもいだしている時間が6、それに加えておもいだせなくてよくわかってもいないところを再学習している時間が1、といったところだろうか。

従って、おもいだす時間を効率的なものにすることが重要となる。それ以外の時間の割合は比較的低いので、(倍速視聴をするなど)効率性を追求する必要性は劣る、と思われる。

おもいだす時間を効率化する一番良い手法は、初回学習時においてそもそもおもいだすことをその後行う必要がないほど強烈に覚えてしまうことであり、この点において上述したまとめの作成が重要になってくるところであるが、そうはいってもすべての学習概念においてそんなことは現実的には困難と思われるので、次善の策としておもだすタイミングを検討する。

なおこの点は、『司法書士5ヶ月合格法』の中で松本雅典は自身の勉強法の理念を以下のように述べているのが参考になる:
一度頭に入ったことは基本的に頭からなくならないから、思い出し方を決めて思い出せるようにするのが勉強だ

「なぜ5か月で合格できたのか突きつめたらわかった合格の真実【司法書士試験】」より
https://youtu.be/TvIexCIJspI

おもいだすことを繰り返し想起することと言い換えると、効率的な想起のタイミングは当該学習項目をやや忘れかけた状態ということになるが、それがいつなのか正確なところはわからないし、わかったところでそれに沿ってスケジューリングすることは扱う学習単位が1万を超えるような場合困難である。この点においては、学習を管理するシステムを援用することが求められる。

何を学習するのか

学習単位を学習する

これまで定義群と条件式群と呼称していたが、回りくどい表現のため、ここからは学習の対象を学習単位と呼ぶこととする。

学習単位は、以下から構成される。

  • 定義群

  • 条件式群

  • 上記を体系化・図解化・構造化するなどでまとめたもの

  • 計算科目における例題

  • 語呂合わせ、計算科目における下書きなどの補助的な思考ツール

上記は、様々な階層の概念を区別せず併置しているため気持ち悪さを感じるかもしれない。しかしながら実際の学習においては様々なレイヤーの学習単位が様々な媒体を通じて提示される。一方でテキスト、サブテキスト、答練、講義、講義のレジュメなど学校が与えるものがあり、他方で自分自身が作成するまとめがある。テキストの例題にメモを書きこみ、講師の指示に従ってラインマーカーを引き、PDFで配布されたレジュメにメモを書き込み、まとめノートを作り、単語カードで暗記する。

これは非常に複雑な状況である。どのように対処するかを決めておかないと学習の効率は著しく低下し、非常にストレスに満ちたものとなる

優先順位の高い学習単位を学習する

資格試験の勉強に親しみのないかたには意外に思われるかもしれないが、資格試験においては、出題範囲表に含まれる領域から均等に出題されるものではない。出題される分野や学習単位に偏りがある

この点について、当然受験予備校は理解しており、テキストに記載のある論点や例題にはABCDと優先度が付されている。その位置づけは予備校/教材作成者によって多少異なるものではあるが、たとえばAランクのものは9割以上の正答を、Bランクのものは6割程度の正答を、Cランクのものは正答は期待できないが正答できたらアドバンテージを取れ、Dランクのものは出題されるはずがない(が網羅性を担保するため掲載している)、というような位置づけである。

学習単位が膨大であり、誰しも時間は有限であることから、まずAランクの学習を進めて精度を十分高め、そののちBランクへ、このあたりで時間切れになる可能性が高まるが時間が許せばいくつかのCランクへ進む。このように学習を進めるべきである。

しかしながら予備校の講義は通常、テキストの前から順に進める。テキストには優先度の異なる章が並んでおり、章の中には優先度の異なる学習単位が並んでいる。さらには複数の科目が同時並行で開講されている。従って優先順位の観点でみると、AABCABCCABC、のように学習を進めることとなる。

これは、どうなんだろうかと思う。学習者の心理を描写すれば、「Aだから重要だな。次のBは難しいなあ。その次はCランクだけど熱心に説明をしているから理解したほうがいいんだろうけど煩雑な定義・条件式だなあ。またAだきちんと学ばないといけないけどまたCだ面倒だ」、のように気持ちがちぢにみだれるのではないだろうか。まずAを、次にBを、試験を直前に控えまだ時間があったらCを、という風に優先度順に学習を進めるようにできないのだろうか。

なお、優先順位をつけて学習を進めることの重要性は、kakyu氏の以下の記事も参考になる。

<科目>の枠で学習しない

多くの受験生は科目を単位として学習する。科目ごとに対策を立て、勉強時間を測定し、得意・苦手の意識を持ったりする。

しかし、上で見たように重要なのは優先順位の高い学習単位を学習することである。この点で科目の枠は不必要である。場合によってはありもしない「苦手意識」のために勉強することが億劫になり余計に勉強時間がかけられないといった悪循環が生じかねない

仕方がない面もある。予備校は科目ごとにテキストを作成し、講師を割り当てるため、予備校の教育サービスを前提とすると科目意識が高まらざるをえないだろう。とはいえあくまでそれはサービス提供側の都合であることは留意したほうが良いだろう。

科目に最低得点(足切り)が設定されていることも遠因となっていると思われるが、しかし優先順位Aを確実に解答できるようにすることで足切りは超えるのではないかと思う。

学習単位ごとに学習する場合、科目の枠は足かせになる可能性がある。優先順位の高い学習単位を勉強するために、すべての科目のすべてのテキストを持って自習室に行くことも現実的ではない。どうしたらよいだろうか。

いつどこで学習をするのか

いつでもどこでも学習する

いつでもどこでも学習できるようにしたい。

これは特に社会人のような時間的制約が著しい学習者にとっては特に切実な課題である。通勤電車の中で、休憩時間に、場合によっては子供と一緒に布団に入っているとときに勉強できるようにしたい。

最近では校舎に足を運ばずに、動画で講義を視聴でき、Zoomやメールで講師に質問ができ、答練をPDFで提出でき、Zoomで仮想的な自習室を提供し、全国の自習室やリモートオフィスとの提携を進め、択一式問題をWebアプリとして提供するなど、いつでもどこでも学習できるようなサービスを提供する予備校が増えてきた。

ただし、上述した通り、学習時間の多くは繰り返し学習単位を想起することである。なかでも計算科目においては例題や問題集を解くことを通じて学習単位を想起することになるが、それに冊子のテキストが必要となると、なかなかいつでもどこでも学習することは難しい。数冊のテキストをカバンに詰め込んで自習室に行き、学習机で勉強するというスタイルに固定されてしまいがちだ。

ところで、人材育成/タレントマネジメント業界で、マイクロラーニングという概念が流行したことがある。これは学習する単位を小さく、また検索性をよくすることで、必要となるときに必要なだけ学習できるような学習形態を指している。もともとは就業現場にいる社会人の学習を念頭に置いた概念であるようだが、このアイデアを援用し、いつでもどこでも学習できるようにできないだろうか。

直前期により多く勉強する

筆者は勉強を雪だるまのイメージで捉えている。もしくはゲーム「塊魂」でもよい。最初はコアとなる部分の形成が困難であるが転がしていくたびにそれらが結合して大きな球となる。

したがって、試験直前期が重要である。逆に言えば、それまでの、たとえば模擬試験の結果が芳しくなくとも断念する必要はないと思っている。

短答式試験に合格した際の直前の模擬試験の結果はD判定だった。

2021年5月短答式試験受験直前の模擬試験

論文式試験に合格した際の直前の模擬試験の結果はE判定だった。

2022年8月論文式試験受験1ヶ月前の模擬試験

本項では特に課題というものはないが、特に社会人は、直前期の勉強時間の確保に注力されたいと思う。

誰が学習をするのか

私が私自身のために学習する

学習するのは他ならぬ私であり、この点について議論はない。したがってより意味のある議論とするために、誰のために学習するのかについて検討をしたいが、これも私自身のために学習することになるだろう。

この、「私自身のために」という感覚は、会社に雇用されるような勤務形態を長く続けると徐々に薄れていく。業務によってもその程度に差異はあるだろう。私の経験を述べれば、前職の後半数年の業務において、利用者サポート業務を行う時間を長く過ごしたが、この過程において「私自身のため」が「利用者のため」に置き換えられていくことになった。

利用者からのサービスに関する質問の多くは提供側にとって理解しづらいことが多い。それは利用者はシステムの挙動の全体を理解しておらず、マニュアルを参照していなかったり誤読しているためであり、それ自体は当然でありサービス提供者として利用者を非難する話ではない。

とはいえ目の前のこの質問に回答するためにはまず質問を理解することが必要で、利用者が直面したであろう機能や画面を想像し、利用者の業務として理解しているところを思い出しつつ質問を解釈することになる。これが顧客を理解する、ということになるかと思われるが、この過程において脳に利用者の理解・事情が侵食していくことになる。可能性のある解釈を網羅するような回答を作成し送信し、問題が解決した旨の連絡を受けると、大変だったなという思いもあるが、ああ利用者の役に立って嬉しい、と思うようにもなる。

何のために仕事をしているのだろう、と自問することも増えてくる。

2019年の夏頃に、『直感と論理をつなぐ思考法』という本を読んだ(佐宗邦威著)。冒頭に、他人を満足させるために時間を使う脳の状態を「他人モード」とし、「他人モードに脳がハイジャックされている」と表現する印象的な表現があり、まさに自分のことだなあとショックを受けて本を閉じた(ショックを受けるあまり、それ以上その本を読もうと思えなくなった)。
それに先立つ2016年、人生100年時代をうたう『LIFE SHIFT』が発売され、その主張が徐々に社会に浸透してきていた。労働すべき期間も長くなる中で他人モードのまま過ごすことが恐ろしく感じられた。このあたりが受験のきっかけの遠因となっており、まさに学習は自分のためという感覚を取り戻すための手段となった。

本項も特に課題というものはないが、自分のために働いている感覚が失われている方がいるとすれば、資格試験の勉強はそこから脱出する一つの手段になるのではないか、ということを伝えたかった。

我々が学習する

YouTubeのコンテンツにStudy with meというジャンルがある。配信者が勉強している姿を垂れ流すコンテンツで、それを視聴しながら視聴者も勉強することでやる気が持続しやすいというメリットがある。

2022年は河野玄斗氏による会計士試験勉強動画が多く配信され、私も利用したことがある。

PC上にアプリとYoutubeを表示させる

これ以外にも、私の勉強期間中では参加者同士で学習時間をリアルに共有するアプリ/サービスの「熱情タイマー」(情熱タイマー)(Yeolpumta)が流行していた。私が利用した予備校ではZoom上に仮想的な勉強部屋を設定するサービスも提供されている。

上で確認した通り、勉強は自分のために行うものである。他の人が勉強するから私も一緒に勉強しようという発想は、よく考えればおかしいのではないかと思う人もいるだろう。こうした一緒に勉強するムーブとは離れて勉強するスタイルの人も多いと思われる。

とはいえ誰かと一緒に勉強するのも悪くないだろう、というのが私の印象である。ここで参照したいのが、市川伸一の提唱する「学習動機2要因モデル」である。これは学習の動機を「学習内容の重要性」と「学習の功利性」の2軸を用い、6類型で分類するモデルである

市川伸一へのインタビュー記事:
https://berd.benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2004/04/01toku_05.html

一見すると、内発的な動機づけが求められ、外発的なそれは重要性に劣ると思われるが、複数の動機に支えられることが重要であるという。一緒に勉強することは「他者につられて」勉強する「関係志向」にあたるが、それも含めて多様な観点で動機を構築することが挫折しづらいモチベーション管理となる

以上から、Study with meも一つの方策と言えるだろう。むしろ、Study with usのような感覚もだんだん出てくるものであった。相対試験においてみんな一緒に合格しようというメッセージが偽善的に感じられる感性も一方では大事ではあるが、コミュニティの中で学習を続けることで、「私」という小さな枠が「我々」へと拡張する感覚もまた実感としてあった

もう一人の自分が学習を管理する

組織に所属して働く場合、その働きぶりは誰かに管理される。部署には上司がおり、プロジェクトにはプロジェクトマネージャーがいる。そうであるならば、普通の仕事よりも困難なことをしているであろう難関資格の受験において、誰かに管理されずにうまくやっていけるのだろうか。誰かに管理されるべきである。

予備校は通常、講師やチューターとの質問サービスを提供しており、ここで学習内容の質問以外に進捗管理をしているひとも多いだろう。しかしながら本来は<学習監視サービス>を標準サービスに組み込むくらいのことをしないといけないのではなかろうかとも思う。

仮に一人で勉強を進めるような一人プロジェクトであっても、体制図を作成し、内なるもうひとりの自分が学習のそれぞれのプロセスを管理しているつもりで時間を配分すべきだろう。

試験合格プロジェクト体制図。
可能であればPMOとして誰か(講師/友達/業者?)に参画を要請したいところである。

このように、学習を仕事におけるプロジェクトになぞらえる観点を導入することで、もう一つ援用できる概念がある。それはKPIである。KPIとは重要業績評価指標と訳され、達成すべき目標を達成するために各プロセスに設定される指標である。売上○億達成という目標に対して、顧客訪問数○件/月とかクレーム対応一次回答時間○時間など、定量的に測定できる指標のうち重要なものである。

KPIを設定し測定することで、目標が達成しそうか否かがリアルタイムに捕捉できる。レポートにまとめることで、関係者と共通認識を得て必要な対応を議論することができる

ただ、このKPIの設定が難しい。何をKPIに設定すべきなのかの選定が難しいのと、KPIを測定するのが面倒であるの2点が理由である。私はKPIをいくつか設定しそれをレポート形式にまとめTwitter上で架空の上司(要はフォロワー)に報告することをした時期があったが、面倒で辞めてしまった。

勉強時間や一問一答の忘却割合をKPIとした
週次でまとめたKPI達成状況を一覧にした

無理なく重要なKPIを測定するためには情報技術をうまく活用すべきであろう。この点も後述したい(第3章)。

管理会計論の池邉宗行講師にはお世話になりました。
しかし、この檄文の「成果も測れない日々」に対する違和感が第3章の根底にある。

まとめ

以上、あるべき学習管理とそれを阻害する要因を検討してきた。以下のようにまとめられる。

  • 学習媒体が冊子/電子ファイルの別、テキスト/レジュメ/答練の別、印字/講師の指示の書き込み/自分の理解のメモの別、など複雑で多様であり、方針を決めないと管理が破綻する

  • 学習媒体が物理的存在である場合、いつでもどこでも学習するのに支障を来す

  • 科目の枠の中で第1章から順に学習を進行させる場合、優先度順に学習単位の定着を図るのが困難である

  • 学習単位の最適な復習タイミングの把握が困難なため、復習不足か過度の復習が発生してしまう

  • 学習状況の監視にコストがかかるため、監視自体を諦めてしまう

以上を踏まえ、学習管理プロセスとそれを支援するシステムの構築を次章で検討したい。


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