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「コミュニティより先にテリトリーが必要」とは?

音楽投稿雑誌「ロッキング・オン」の創刊メンバーであり、その後、全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊され、参加型メディアを開発しながら参加型社会を目指して活動を続けておられる橘川幸夫さんという方がいます。

2020年に存在を知り、その年の7月に出版された『参加型社会宣言 22世紀のためのコンセプト・ノート』を当時、読んでいる中で特に興味深い一節がありました。

それは、橘川さんの義弟である小林秀雄さんという方の専門であるコミュニティに関する内容でした。引用します。

大学で地域コミュニティ論を研究していた彼は、植物や動物や人間の「なわばり」の構造を研究していた。下町のおばさんが、路地裏で鉢植えした朝顔を路上に並べるのは、通り抜けや余所者を排除する意識からだ、というようなことが書いてあった。その本が示していたことは、コミュニティより先にテリトリーが必要だ、ということだ。

p85から引用

コミュニティとは、ある特定のテリトリーの中で、日々の生活の中で自然と育まれるものである。だから、第三者がいきなり「コミュニティを作る」というのは、傲慢な勘違いである。地域設計者が出来ることは、「将来のコミュニティが育成しやすいようなテリトリーの環境を作ること」なのだろう。

p86から引用

ここでいう「先にテリトリーが必要」という表現には目が開かれる思いがしました。

例えば町内会といった地縁のコミュニティは厳密にはその地域に住んでいるというテリトリーの大外の円がある上で、その中に有志で活動しているコミュニティという円があるという、少なくとも二重構造になっているところを、なんでもかんでもコミュニティとしてまとめて捉えてしまっていたなと気づくことができました。(まぁ、厳密にいえば定義の話であって、ここでいうテリトリーも●●コミュニティと呼べばコミュニティではあるのですが・・・。本のことばを使うならばテリトリーのことはナワバリ型コミュニティと呼んでもいいのか!?)

その上で、過去を振り返ってみると私が2007年〜2018年のあいだで深く関わってきたのは主には「個人向けにビジネスという手段をつかって、特定のリアルの場所と紐づく「リアル・テーマ型(※)」コミュニティをつくってきた方々」でした。

みなさん「コミュニティ」という言葉を使っていてそれはそれは便利な言葉だったので、私はそこで思考停止してしまっていましたが、今回引用した内容と照らし合わせると、その実はテリトリーをつくるのが卓越している(これは言い換えればコンセプト・世界観づくりがうまく、その上で人を巻き込む力が高い、ある種の境界線を引くことに長けている)人たちなのだなと捉え直すことができました。

※リアル・テーマ型とは私が勝手に分類した4つのうちの1つ。一昨日くらいに生み出したたたき台です。以下の画像参照(この図を紹介している記事はこちら)この4象限のうち左下は居住エリア・生活圏にある金銭を得ることが主眼のコミュニテイ(リアル・ワーク型)と金銭以外を結果として得ているコミュニティ(リアル・ライフ型)が位置しており、その横は居住エリアではないけれど定期的に通っているリアルの場所と紐づくコミュニティが位置しています。(ただし、この図の紹介記事でも触れているようにワークとライフを同じ側に置いていることは無理があり、3次元の図を考えましたが、詰めるよりまず出しちゃえということでまだこの図で紹介しています)

今回の記事で引用した箇所がとても興味深かったのでもっと知りたいと思い、2020年当時、小林秀樹さんの書籍『集住のナワバリ学』を探し、同じ本は見つけられなかったのですが、テーマが似ていそうな『居場所としての住まい ナワバリ学が解き明かす家族と住まいの深層』を購入しました。

が、そのすぐ後に何かを学ぶというより実践していくフェーズに変わっていったこともありそのままになって今に至ります。

今回の当てはめは、あくまで橘川さんの解釈をベースにしているため、小林さんの書籍を読み込むことで、あれ、違うじゃん!?となったらどうしましょう(汗)その時は、この記事も加筆・修正することとします。

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