見出し画像

2016年の熊本地震によせて

手紙への返事

2016年(平成28年)4月14日(金曜日)と同年4月16日(日曜日)の2度にわたり我が故郷である熊本地方は地震に見舞われた。その第一報は、4月14日の夜9時20分頃に四谷の居酒屋で一緒に飲んでいた部下から知らされた。

「震度7くらいだそうです」とスマートフォンを眺めていた部下が言う。一瞬、わが耳を疑った。震度7と言えば、2011年の東日本大震災と同じレベルではないか。津波は発生していないのか、と心配になる。「今のところその情報はありません。」と部下。すぐに、店の外に出て熊本の姉に電話を入れる。すごく揺れたこと、生きた心地がしなかったこと、今近くの小学校に避難していること、を息をつく暇もなく話してくれた。とにもかくにも一応生存していたことに安堵し、自宅に戻ってテレビを見ることにした。が、夜の間は詳細は分からず速報レベルでしか把握出来なかった。次の日のニュースを見てはじめてその凄さが徐々に分かってきた。

この地震は、更に、4月16日深夜にも発生する。16日朝のテレビを見て愕然となった。大きな橋が落ち、阿蘇に至る道が波を打っている。学生の宿舎が壊れてしまっている。生死が不明な人もいるようだ。熊本城の屋根瓦がはがれ、城の石垣が崩れている。すぐにでも熊本に行って自分にできる何かをしたい、と思ったものの、姉に電話すると、大丈夫、あぶなかけん、こんでよか、というので、落ち着いたら行くことにした。

約3か月後、私は仕事の関係で大分に出張する機会があった。その機会を利用して、熊本市内の様子や八代の実家の様子を見てこようと思った。

以下の文は、私の実家が熊本であることを知っている知人から、4月15日に地震のことを心配して貰ったメールに対する同年7月中旬に書いた返事である。数年後に思い出して書いた文章より、その時の雰囲気が表われていると思い、転載することにした。

以下、転載。

「〇〇様

お久しぶりです。

あれから3ヶ月。6/30~7/2にかけて、大分出張のついでに阿蘇越えで熊本に行ってきました。

大分から阿蘇に入ると、すぐに屋根の瓦がつぶれているものや、屋根の上のブルーシートが散見されました。阿蘇の山肌には、地震か前日までの大雨の影響か大きくえぐられたような痕が残っていました。

画像1
阿蘇の山々ー山肌がえぐられている

熊本空港を経由して益城町に進み、熊本市内に近づくと、あちこちにブルーシートがかけられている家がバスの中から見えました。壁が壊れている家もありました。

水前寺でバスを降り、姉が住む家へ歩いて行くと、ところどころに新しいアスファルトが。後で聞いた話、液状化になった後をアスファルトで塞いだとのこと。だめになった家を壊しているところもありました。

姉の家に着いたら、外見的にはブルーシートがかかっているだけで、まぁそれほどでもないかなと思い、ピンポン。ところが、玄関に荷物が平積み。部屋のあちこちにも荷物が畳の上に平積み。散らかったのを随分片付けたんだけどと言っていました。また、荷物を棚の上に置くのはまだ怖いと言っていました。4月中には震度5以上の余震が20回ほどあったとのこと、地面が揺れて揺れて本当に生きた心地がしなかったこと、などや、地震の後の様子や食料や車中生活の苦労話など聞き、最後に家の中のひび割れ状況や壊れたところを見せて貰う。やっぱり地震はすごかったことを改めて実感。

その後、一路八代へ。八代ではブルーシートがかかっているところはほとんどなく、晩御飯に入ったラーメン屋のおじさんに地震のことを聞いたところ、「そぎゃんなかったとですよ」(たいしたことはなかったの意)とのこと。私がそのおじさんに「八代海に停泊していた自衛隊の船からオスプレイが飛び立っていったらしいんですけどどうでした?」と聞いたら、「そげん話、初めて聞きました」と言っていました。それぐらいだったので、八代は大丈夫だったようです。

次の日、実家を見に行き、実質的な被害がないことを確認して、八代駅へ行き、一路電車で熊本へ。電車の窓から外を見ていると、ちょうど、宇土というあたりからブルーシートが目立ち始めてきました。中には、2階が潰れている家もありました。そこから、熊本駅までずっとブルーシートがかかった家が見えました。

熊本駅から市内に出て、熊本城を見てみました。さすがに凄かったです。立ち入り禁止で外側から見ただけですが、貼付した写真で、「熊本城」の文字が見える石碑があるかと思いますが、これ、上部分が回転しています。どんだけのものだったか推して知るべし、ですね。熊本空港では、天井の照明が壊れておりまだ手付かずの状況でした。

画像2
熊本城の石碑、隣は馬具櫓

この移動で分かったのが、阿蘇→熊本空港→熊本市内・益城町→宇土市の直線上のごく限られた範囲での震度7の地震、即ち、断層のずれがあった、と言うことでした。

まぁ、それにしても、よりによって、熊本で・・・、という感じです。日本はもうどこで地震があってもおかしくないと思いました。とともに、常日頃の用心が必要とも。

そんな感じで熊本行って来ました。ご心配をおかけしました。」

記憶の箱に。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?