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ゴーゴーファイブのグリーン

一番最初の記憶


「みつけた〜!」

お母さんと河原の土手で遊んでいる。
3歳児には大きい、丸く剪定された木が幾つも植わっている。隠れては見つけてもらう遊び。
母の笑顔が木の影から覗く。楽しく笑う私。

人生で1番初めの記憶は、3歳。

他にもいろんな記憶があるが、3歳からの記憶が明確だ。朝起こされて、こたつにあたって砂糖とミルクの入ったコーヒーを飲む記憶。
祖母と近所の川に降りていく階段で、2人で座ってお菓子を食べた記憶。ポテトチップスとじゃがりこ、どちらを食べるか選ばせてくれた。どちらも待って行って選んだ気がする。

4歳になるまで、大人の中で育った。
同世代の子どもと遊んだことがなかった。
正確には会う程度はしたことがあるが、遊んだりということはなかった。
初めて保育園に登園した日のことを覚えている。
わたしと同じくらいの年端の子どもが、たくさんいた。ウヨウヨといたという表現が、その時の私の気持ちを表すのに近い言葉だ。光景を覚えている。
こわかったし、なんだかチマチマとたくさんいて気持ち悪かった。
大泣きして帰りたいと懇願し、慣れるまでに4、5日程度かかったらしい。

ゴーゴーファイブ


当時はゴーゴーファイブという子供向けの戦隊モノテレビ番組が放送されていた。
とても好きだった、ゴーゴーレッド・ブルー・イエロー・グリーン・ピンクの5人組だった。
特にグリーンが好きだった。
保育園に登園し、外で遊んで良い時間になると、ゴーゴーファイブごっこが始まる。
すばやくその輪に入っても、空いたポストはピンクだけだった。

「入れて!グリーンがしたい。」
「ピンクしか空いてないで。ピンクならええよ。」
「わかった。」と渋々納得して、男の子に交じって架空の敵を倒すのだが、ピンクはしっくりこなかった。やがて追いかける足が止まっていく。
くる日も来る日も、グリーンは回ってこなかった。空いたポストはピンクだけだった。やがてその輪に入るのをやめた。
大体、レッドやブルーをする子は決まっていた気がする。どんな顔の何て子かは覚えていないけど、なんだか保育園でも社会の縮図を感じざるを得ない。フェミニズムだかなんだか、難しいことを言うつもりはないけど、男尊女卑だとか生きにくい世の中だとか、あるにきまってる。決まってる。
平成に生まれたわたしが、保育園時代に感じたこの感傷を、可哀想だと思うか、否思わないか。

そして私は、大人同士が話している内容が気になって仕方のない子どもだった。保育士さん同士が話しているのを見かけると、何はなしとん?と聞きに行っていた。そうやって聞きに来るんですと困った顔で、保育士さんが母親に話した。子どもの話より、大人の話が聞きたかった。同世代の子と私は何を話していたんだろう。変わった子だと、たくさん言われてきた。
もっと子供らしくしなさい、と言われることが苦痛で仕方なかった。子どもらしく振る舞うって、どうやって。
何か聞かれたときは、すぐに親の顔を見ていた。それもやめなさいと言われた。どうしていいかわからなかった。何も答えられず、まっすぐ見るしかできなかった。親の顔をみたら、下から見上げたら怖い顔がこちらを見ているから。

誰にでもこういう経験はあるんだろうか。

これを書くにあたって、幼少期って何歳くらいまでなんだろうと調べてみると、12歳ごろまでらしい。
12歳頃までのエピソードを書く自信がなくなってきた。
今日はゴーゴーファイブのグリーンがしたかったことだけを、とにかく書きたかった。

自分って

生まれ持った性格というのが5割、環境や後天的要素が5割で、大体その人の性格を形作るらしい。
徒然に人生を振り返る中で、わたしを見つめ直すきっかけになるだろう。
もう十分に自分に向き合ってきた気がするが、天の意思はそうでないらしい。
自らの性格を考えるにあたり
感受性や感性が豊かで、
衝動的で、onとoffが激しく、もっと突っ込んで表現するなら躁鬱が激しく
快楽を求めている。目立ちたがり屋でもあるとおもう。かなり。
人前で何か発表することが大好きだ。かといって緊張しないわけじゃない。
膝はガクガクするし、喉は緊張ではりつく。それでも話したり発表したり、スピーチしたりといったことが大好きだ。司会をしたり、観衆を盛り上げたり、お笑いしたり。とてつもない快を感じる。視線が私にそそがれることも、注目を浴びていることを今まさに感じることも、人の反応を見てはなすことも。何にも代えがたい快楽となる。
いづれは講演家として全国をまわってみたい。求められることなら何でも話したい。

我慢が苦手だから、やりたいことは諦めたくない。形は少し変わっても実現してあげたい。
いろんな我慢をしてきた私に、わたしは我慢をさせたくない。

グリーンになれなくて諦めた、4歳の私みたいなのは望んでない。

小説やエッセイを書きたい。なりたい。諦めたくない。諦めることもないとおもう。なんでもすることはできる。
納得しても、しなくても、動くことはできる。
誰の人生でもないから。私の人生をわたしが生きていく。

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