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コロナ闘病記~100mile走るよりツラい10日間走れないという日々~

コロナ闘病から1年が経ちました。
当時はネガティブ記事だと思って公開しませんでしたが、読み返したらアホなこと書いてたので1年前の自分を晒してやります。

前書き

突然の発熱、コロナ陽性診断。
自分には関係ないと思っていたことが、実際に自分の身に起こる。

このご時世では、どれだけ健康に気遣っていても誰もが経験するかもしれないコロナとはいったい何なのか。

病気そのものの辛さより、周囲への配慮、10日間の隔離生活、何よりも走れない日々の辛さを書き記しました。

0日目(ランニング)

発症前日、この日はオンラインのフルマラソンイベントに申し込んでいたので、午前中に自宅から神戸まで42.3kmの距離を消化する。

ランニング後は、クアハウス神戸で水風呂にドボン。

冷えた体をサウナで蒸らし、汗をかき尽くした後、再び水風呂でアイシング。
まだお客さんが少ない時間帯なので、貸し切りの露天風呂で優雅な午後のひと時を過ごす。
風呂上がりにはビールと日本酒でカロリー補給。

ここまでは、いつもと変わらない非日常という日常のルーティーンだった。いったいどこで歯車が狂ったのか。

フルマラソンでのダメージによる免疫低下か、サウナで熱風と共に吸い込んだウイルスが原因か、何が原因かは分からないが、少なくとも露天風呂は貸し切りだったのでこれが原因ではなさそうだ。

明日はランオフにしてドライブでも行こうかと考えていたが、まさかこんなことになるとは。

1日目(発症)

朝、目が覚める、寒い。
気温が低い寒さじゃない、ゾクゾクする寒さだ。
そして、のどが渇く、昨日飲みすぎたかと水でノドを潤そうとしたが、明らかに痛みを感じる。

ヤバっ、この症状は噂に聞く妖精の仕業やん。

恐る恐る体温を測ると37.8度、もう間違いない。
しかし、事実が受け入れられず動揺する。

昨日フルマラソンを走り切ったとは思えないほどに足は軽く、ダメージも無い。
毎日マヌカハニーを飲んで免疫力強化にも気を付けていた。

何よりも週末の球磨川100mileに出場できなくなることは受け入れ難い。

誰にも言わず黙って風邪薬を飲んで症状が緩和すれば週末には治っているかもしれない。
気が動転して冷静な判断が出来なくなっていた。
どうしても大会に出たいという煩悩が、身勝手な自分のことばかりを考え、周囲への配慮、感染を拡げない対策という一番大事なことを置き去りにしていた。

昨年のTJARで中止を知らされた土井選手は、真っ先に
「事故じゃなくてよかった」
と安堵の言葉を発したではないか。

私はトレイルランニングで何を学んだのだ。

自分が出場することよりも大会が無事に成功することが来年の開催に繋がるという基本的な感情が欠落し、とても恥ずかしい気持ちになった。

我に返り、まずは家族に報告、自室での隔離生活が始まる。

2日目(陽性診断)

外はポカポカ陽気で気温は高そうだが、体温も高いので寒気は止まらない。
普段なら走っていける距離の病院まで車で向かう。

病院の駐車場に特設された「発熱外来」の受付を済ませ、エイドステーションのような簡易テントの中で診察の順番を待つ。

待合テントには私を含めて3名、まるで収容バスを待つリタイアした選手のように項垂れ、疲れた表情を浮かべている。

私の番が来た、ノドの痛み、発熱を伝えると間違いなく陽性との診断と共に、鼻の奥、ほぼノドの手前に迫ろうとする長い綿棒を突っ込まれ、なかなか抜いてくれない。

おかげで花粉症が解消したように鼻が通った気がする。
処方箋を渡され、病院を後にした。
手慣れた流れ作業で、医師も看護師も全く私の体に触れることなく診察を終えた。

コロナvs風邪薬

後5時、病院から陽性との連絡があり、10日間の外出禁止が確定。
陰性だと連絡しませんとのことだったので、電話が鳴った瞬間は、当たってほしくない懸賞に当選した気分だった。

もう、悪あがきはできない。

事実を受け入れ、週末の航空券や宿のキャンセル手続きを始めた。

3日目(テレワーク)

良くも悪くも、PCさえあればどこでも仕事ができる時代だ。

電話、メールでのやり取りは普段と変わらない通常業務のタスクが目白押し。自分が思うほど、他人は自分に関心は無いと常々考えてはいるが、私がコロナになったことはどこまで伝わり、どのように伝わっているのか、先方との電話でのやり取りで新たな一面が見え始める。

大変ですね、お大事に。
と、声を掛けてくださる方や、「私は濃厚接触者になるのでしょうか」と聞いてくる後輩。
知らんがな、自分で判断せえよと言いたくなる。

ちなみに家以外ではもちろんマスクをしているし、普段は昼食も孤独のグルメなので、会社の誰とも濃厚な関係ではない。
仕事の電話に混じり、保健所からの電話が鳴る。電話口の女性から淡々と業務的な説明を受けた。

「こちら保健所です。発症翌日から10日間療養期間です。ホテルは利用されますか」
「ホテルをご用意いただけるんですか」
「はい、ご希望であればタクシーでご自宅まで迎えに行き、ホテルまでお送りいたします。ホテルはご指定いただけません」

噂に聞くホテル軟禁への誘い。
ホテルを指定できないというフレーズに、目隠ししたままタクシーに乗せられる自分の姿を想像して少し可笑しくなった。不謹慎極まりない。

3食の弁当が提供されるので外出は一切禁止、一度入ったら期限まで出られない。
今も自室まで食事を運んでもらい、トイレ、お風呂、歯磨き以外は部屋から出られないことを考えると、ホテルにいた方が家族の負担もリスクも減るだろう。

どうしよう、ホテルに行くか自宅で留まるか悩んだが、一旦自宅に留まることにした。
この判断も自分勝手な選択だったと悔むことになるとは、学習能力のなさと身勝手な自分にウンザリする。

4日目(感染拡大)

目覚めは快調、熱も下がりノドの痛みも和らいできた。
今日はweb会議で初見のお客様との打ち合わせがあるので髭を剃り、ビジネスシャツに着替える。

当然、下半身はジャージのままだが、そこは許してほしい。

自分の調子が良くなり浮かれているところに落とし穴はある。
なぜ神様は、常にプラスマイナスのバランスを均等に保とうとするのだろう。

ついに家族が発症した。もちろん陽性。

もっと早くホテルに入る判断をしていれば、悔やんでも悔やみきれない。
病気をした人間は弱者である。
そのことは重々理解していたつもりだが、コロナという流行風邪は弱者に精神的な卑屈さという重荷を課してくる。

身体的な辛さと、周囲への申し訳なさ。

見えない敵にどうすることも出来ない。
自分の無力さを痛感する。

それでもテレワークという日々のタスクは絶え間なく流れる。
「元気そうで安心しました」
「良いプレゼンでした、長いお付き合いになりそうですね」
仕事は順調、しかし、やりきれない気持ちが渦巻く。

溜まっていた郵便物を確認すると水上村役場からの封筒が。
厚みのある封筒を開封すると「63」のBIBと共に、抗原検査キットが同封されていた。

本来なら喜ぶべきゼッケンが悲しく見える

決してスタートラインには立てない球磨川リバイバルトレイルのゼッケン63を眺めながら、何とか参加できる方法は無いのか。

これは現実なのか夢なのか、日常と非日常の出来事が目まぐるしく交差する紛れもない現実を受け入れられずに心が葛藤する。

SNSを開く、球磨川のゼッケン写真と共に参加選手皆さんの意気込みが伝わる投稿が並ぶ。

だめだ、苦しい。そっとスマホを閉じた。
球磨川を走れないという現実を受け入れることが何よりも辛かった。

5日目(健康体)

今朝の体温は35.4度となぜか平熱を下回る好記録をマークする。
窓の外は昨日までの雨が上がり見事な快晴の空。
まるでドラマのようにお天道様が私の気持ちと体調を表現してくれているようだ。

ノドの奥に痛みは残り、少しせき込むことはあるが、これが風邪なら間違いなく出勤しているレベルの復調なので、本来なら大会当日に使用する予定だった抗原検査キットを使ってみた。

結果は陰性。健康体やん。

陽性の気配も感じない・・・

大会レギュレーションでは72時間以内のPCR陰性と48時間以内の抗原検査陰性で出場できる。
保健所の外出禁止という「行政命令?」があるから身動きは取れないがPCR検査も受ければ陰性になるのではないか。

これまで散々、反省と葛藤を繰り返したので今さら大会に出場しようと悪あがきを考えているわけではないが、いったい何が真実で、どうなれば感染リスクが高まるのだろう。

私はまだ病原菌で人にうつすリスクは高いのか。
体内にコロナは本当に存在するのか。
感染した家族から私は再び感染するリスクはあるのか。

見えない敵に何が本当なのか分からなくなる。
ひとつハッキリしているのは、10日間は外出できないということ。

こうなったら家の中で踏み台昇降D+8,000mチャレンジするしかないか。

快晴の空を眺めながら、今できることを必死で考える。
空の向こうでは、球磨川100mileが幕を開けようとしている。
遠くからではありますが、大会の成功を祈っています。

6日目(感謝)

座っているだけなのに腹は減る。

友人宅に非難させてもらった長女を除き、家にいる3人全員が感染してしまったので、部屋や食事を分ける必要もないのだろうが、各自部屋で食事をとり、LINE通話で団らんしている。

3人分の食事を取り分け、毎食お盆に乗せて部屋の前まで運んでくれる妻には感謝しかない。

熱も下がり、咳も和らいでいる。
Facebookで球磨川の様子をタイムラインで見る。
引きこもり生活にも慣れ、いろんなことが受け入れられるようになり、球磨川はどんな戦いになるのか、楽しみになってきた。

しかし、調子が良くなったころの落とし穴は再びやってくる。平穏な日々はなかなか訪れてはくれない。

妻に感謝

7日目(味覚)

味がしない。
ここにきて唯一の楽しみである味覚を奪われた。

これからいったい何を楽しみに生きていけばよいのか。
味覚というか、嗅覚が全く機能していない。

最初は花粉症で鼻が詰まっているのかな、と重要視していなかったのだが、何を食べても、何を飲んでも全く味も香りも無い。

コロナの初期症状として噂には聞いていたが、オミクロンで味覚障害が発症するのはあまり聞いたことが無い。
家族も味覚に関しては無症状なので、

何それ、ホンマに?

といった反応で信じられない様子だ。
風邪の症状は回復し、濃いめで辛めのカップラーメンが食べたいと思いお湯を入れ、味をイメージしながら啜る。

あれっ、薄い、辛くない。でも汗は噴き出る。

アルコールも少しくらいならいいかな。
缶ビールを開け、ビールを流し込む。
シュワシュワとした炭酸感を感じるが、全く味がしない。

食欲とは、脳が感じる自己欲求の塊だということを改めて感じる。

味がしないと食べる気も起らない。
食後にノンカフェインのコーシーを飲むが、お湯の中で微かに舌に残る苦み。
それが苦みなのか何なのか。
味のしない黒いお湯をカラダに流し込むという作業、虚しさに心が沈む。

もういい、寝よう。
明日になれば治っているだろう。

明日になっても治っていなければ、本当に何を楽しみに生きていけばよいのか。
回復に向かっているココロとカラダは再び先の見えないトンネルへと突入し、動揺する。

8日目(想い)

生活をいつものリズムに戻そう。
いつまでもクヨクヨしていられない。

朝、6時半に起床し、筋トレと筋膜ローラーで体をほぐす。
ソイプロテインを牛乳で割って流し込み、ヨーグルトにジャムを掛けて食す。
食後にはエビオス錠とアスタビータを服用する。

しかし、何の味もしない。
本当に味覚は戻るのだろうか。

歯磨きをしながら、微かに鼻を抜けていくハッカのさわやかなミント香を全身で感じようとするが、さわやかさの微塵もない。

スマホを開く、球磨川100mileは既に優勝者が決まっていた。
優勝タイムには遠く及ばないが、どこまで戦えるか勝負したかった。

しかし、悔しいという感情よりも悲しいという方があっているかもしれない。

本当は、走りたかったというより、球磨川で会いたい人がたくさんいたのだ。
セミナーでお世話になった丹羽薫さん、ポール講習の講師だったときちゃん、インナーファクトの首藤代表、インスタ、ツイッターで拝見する方々、そして何より、球磨川の大会を支えてくれているスタッフの方々。

実は球磨川の支流、川辺川沿いにある相良村は私の祖母が暮らす第2の故郷だ。

昨年12月に祖母は他界し、コロナの影響で葬儀にも参列できなかった。
今回の大会では、その相良村の北側、五木村もコースとなっている。
球磨川のレースに参戦を決めたのも、もしかしたら祖母が呼んでいたのかもしれない、そう思っていた。

だが、参加できなかった。

私はまだ出場するに値しない、何か今年は出てはいけないという不思議な力が働いているように感じたが、一体真実はどこにあるのだろう。

このコースなら恐らく30時間以内、欲を言えば28時間以内でゴールできていたかもしれない。しかし、それは叶わなかった。

大会のエイド食も豪華で美味しそうだ。
だが、私には味覚が無い。

もし、無理をして出場していたとしても、楽しみは半減、いや、それ以下になっていただろう。

味覚が無く、100mileを走ったらどうなるんだろう。
ジェルの甘ったるさは全く感じないので、結果だけ見れば淡々と、良い結果が出るかもしれない。

そもそも、1週間全く走らないのはいつ振りだろう。
生活をいつものリズムに戻したい。
抗原検査が陰性だったので、マスク代わりのBUFFで口元を抑え、少し走ってみた。

風が暖かい、いつの間にか季節は変わり、梅か桜か、ピンクのつぼみが目に映る。
体は重く、動きも悪いが心は軽くなった気がした。

味がしないことを逆手に、賞金の出る激辛チャレンジとかで荒稼ぎも悪くない。
悪知恵は好調だ。何の反省も無い。

季節は変わり、桜が咲き始めていた

9日目(挑戦)

何となく味覚が戻ってきた。
激辛チャレンジに向けて、ペヤング 獄激辛担々やきそばを準備していたが、今食べたら悶絶してしまうに違いない。
悪知恵を働いた報いとお湯を入れ、食べてみる。

案の定悶絶する。
辛いというか痛い。

味覚が戻ったことにひと安心。

10日目(リミット)

発症から10日目、保健所の宣告から9日目となった。
あと1日で自宅謹慎期間が明ける。
この1日で何が変わるのかは分からないが、今はただ、明日を待つ。

11日目(解禁)

ついに謹慎解除、長いようで短かった10日間。
夢か現実か、葛藤に揺れた自宅での生活。
改めて人とのつながり、face to faceの有り難さを知ったことは人生の糧になったかもしれない。
思う存分走ってもいいはずなのに、体はダルくて重い。

物理的な質量も増えたのかもしれないが、それ以上に
「さぁ解禁だ!走りだそう」
という気になれない。

気持ちが乗らない時、苦しい時、いつだって走ることで解決していた。
短パンに着替え、玄関を1歩出れば何とかなる。
大事なのはいつも次の一歩を踏み出すことだ。
深く考えず短パン姿に変身し、玄関を出る。

短パン姿になる必要はどこにもないのだが、すっかり暖かくなった風が心地よく、生足を包んでくれる。

新たな目標に向けて、次の一歩へ。

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