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【映画#108】「スイミング・プール」『泣きたくなるような青空』より

こんにちは、三太です。

今、国語の授業では故事成語の「矛盾」を学習しています。
返り点や送り仮名など書き下すときに必要な知識を伝え、いくつかの文を書き下す作業をしました。
また、そのあとには日常生活で「矛盾」を感じることというお題で作文を書きました。
生徒達はなかなか「矛盾」した事例を見つけるのに苦戦していましたが、なんとか書き切ってくれたので、じっくりみんなで鑑賞していこうと思っています。

では、今日は『泣きたくなるような青空』に出てきた「スイミング・プール」を見ていきます。
『泣きたくなるような青空』に出てくる映画7作のうちの6作目です。
5作目の「Water」は既出です。(まだ見られていませんが・・・)


基本情報

監督:フランソワ・オゾン
出演者:サラ(シャーロット・ランプリング)
    ジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)
    ジョン(チャールズ・ダンス)
上映時間:1時間42分
公開:2003年

あらすじ

場所はロンドン。
日常や担当編集者であるジョンへの不満を抱き、ギスギスとしていた人気小説家、サラ・モートン
そんなサラがジョンに誘われ、ジョンの所有するフランスの別荘へ一人行くことになります。
別荘へ移動して、一人優雅に生活する中で、少しずつ自分を取り戻すサラ。
そんなサラの生活に突如現れたのは、ジョンの娘、ジュリー
サラはジュリーの適当な生活や男遊びの激しさに一緒にいることが許せません。

また、この別荘の庭にはスイミング・プールがありました。
そしてこのプールをめぐり、いくつかの不可解な出来事が起こります。
サラの書く小説とも重なり、映画は奇妙な結末を迎えます。

設定

・小説家
・別荘とプール
・事件

感想

結末までたどり着いて思ったのは、「なんだ、これは!?」という混乱でした。
この混乱について少し考えてみました。
私が考えたのは、この映画は(途中から)サラが描いた虚構の世界ではなかったのかということです。

なぜそう考えるのか。
まず一つ謎なのは、最後に出てくるジョンの娘、ジュリーです。
そこまでずっと出ていたジュリーと別人のジュリーが出てくるのです。
はじめはジョンと別の女性との子どもかと考えました。
けれども、その後の映像でフランスの別荘で過ごす別人のジュリーが映されるのです。

では、あのあばずれ(男遊びが激しい)のジュリーは誰だったのか。
これはサラの小説に出てくるジュリーだったのではないかと思ったのです。
なぜジュリーはこんなにあばずれとして描かれるのか。
そこにはサラの欲望が関係しているように思います。
最後にある出来事を隠すために、サラがマルセルというお手伝いのおじいさんを色仕掛けで誘うシーンがあります。
ここはサラの欲望が行動として現れたところだと考えられるのです。
要するに映画の描くシーンは、途中からサラの欲望も含め、その描く小説に連動していたのではないかということです。
そう考えると、理解できることもあるのですが、事実と虚構が混じり合い、とても難しい映画だとも言えそうです。

サラは担当編集者であるジョンに気が合ったということをあとのほうのシーンで述べます。
ただ、サラは自分の相手をしてくれないジョンに不満を持っていました。
そのジョンに対して、サラは別の出版社から本を出します。
ここはサラの復讐劇でした。
ちなみにその本の名前が『スイミング・プール』です。

ちなみに謎はまだ残っていて、プールで寝ているジュリー、そして同じくプールで寝ているサラの横にそれぞれフランクとマルセルが立っていて、見下ろしているシーンが出てきます。
とても怖いシーンです。
しかし、ここはどのように解釈できるのかよく分かりませんでした。

置き去りのプール見下ろす冬の鳥

その他

・ウィキペディアより
→監督のフランソワ・オゾンはゲイであることを公表しており、作品の多くで同性愛を扱っている。

『泣きたくなるような青空』内の「スイミング・プール」登場シーン

では、何故そんなズブの素人の作品の編集がパリでだったのか?
理由は簡単。カメラマンがヨリックというフランス人だったからだ。
ちなみにヨリックは当時すでにフランソワ・オゾン監督の『スイミング・プール』などを撮っていた有名なカメラマンで、最近ではジム・ジャームッシュとも組んでいるのだが、では何故ヨリックのような有名カメラマンが、無名監督の短篇映画のためにわざわざ撮影地の長崎くんだりにまで来てくれたかといえば、原作のフランス語訳を読んで興味を持ってくれたのも確かだが、ひとえにプロデューサーの力だと思う。

『泣きたくなるような青空』(pp.119-120)

これは「遠いパリのこと」というエッセイの一節です。
吉田修一さんが「Water」という作品を映画化したときのエピソードが述べられます。
この作品のカメラマンが「スイミング・プール」を撮ったヨリックだったようです。
ちなみにこのエッセイを通して、吉田修一さんが「自分が映画監督になれないと思い知った瞬間」(p.122)を吐露されています。
この部分は作品と映画の関係を追いかけてきたものとしては、とても興味深く読みました。

吉田修一作品とのつながり

これもよくわからなかったです。

以上で、「スイミング・プール」については終わります。
色んな解釈ができそうな、謎多き作品でした。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

出典:「映画ドットコム」

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