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【映画#52】「市民ケーン」『悪人』より

こんにちは、三太です。

今週は校外学習やら出張やらで学校にいる時間がかなり短かったです。
よい気分転換になる反面、普段のルーティンが崩れて少し困ることも。
先を見通して仕事を行っていきたい、そしてnoteも書いていきたいと思っている今日この頃です。

では、今日は『悪人』に出てきた映画、「市民ケーン」を見ていきます。
『悪人』に出てくる7作の映画の内の6作目です。

基本情報

監督:オーソン・ウェルズ
出演者:ケーン(オーソン・ウェルズ)
    リーランド(ジョゼフ・コットン)
    スーザン(ドロシー・カミンゴア)
    エミリー・ノートン(ルース・ウォリック)
上映時間:1時間57分
公開:1941年

あらすじ

1941年、新聞王であったチャールズ・フォスター・ケーンが亡くなったところから映画は始まります。
マーチ社という会社が、ケーンの一生を追うドキュメンタリー番組を作ろうとします。
その過程でケーンが死の間際に語った「バラのつぼみ」という言葉が何を意味するのかの謎を追いかける展開となります。
ケーンとともに働いた同僚や元妻などの証言をもとに、ケーンの過去に迫ります。
「バラのつぼみ」の謎は解けるのでしょうか。

設定

・現在から過去を回想するスタイル
・謎を追いかけるミステリー
・ある男の一生

感想

初見ではラストシーンの意味がわからなかったです。
おそらくこういうことではないかなという推測はつきましたが、もう一度見直してその意味がわかりました。
そういう意味ではボンヤリ見ていると大事なところを見逃してしまう映画かもしれません。
ただ、意味が分かった時には、この映画が伝える人の一生というものが浮き上がってきて、こういう体験はあまりできないし、尊いなと思いました。

ケーンは自己中心的で、妻との結婚生活も上手くいきません。
経済的には成功していましたが、それだけでは幸せな生活を送れるわけではなく、ではケーンはどうすればよかったのか・・・。
なかなかケーン個人のパーソナリティにだけ責任を負わせることのできない問題が横たわっていたと思います。

思い出は煙となりて春来る

その他

ウィキペディアより
→オーソン・ウェルズの監督デビュー作。世界映画史上のベストワンとして高く評価されている。ウェルズは監督のほかにプロデュース・主演・共同脚本も務めた。

→映画の主人公ケーンは、ハースト・コーポレーションの創業者であるアメリカの新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしている。

→パン・フォーカス、長回し、ローアングルなどの多彩な映像表現などにより、年々評価は高まり、英国映画協会が10年ごとに選出するオールタイム・ベストテン(The Sight & Sound Poll of the Greatest Films of All Time)では5回連続で第1位に選ばれ、AFI選出の「アメリカ映画ベスト100」でも第1位にランキングされている。
(自分にはこれだけの映画だということはわからなかった・・・。)

『悪人』内の「市民ケーン」登場シーン

仲の良い同級生が女を殺して逃走している。言葉にすると、かなりドラマティックな物語に巻き込まれているのだが、日常は至って平凡で、こうやって大濠公園の見下ろせる部屋にこもり、「死刑台のエレベーター」や「市民ケーン」など好きな映画を観ているだけだ。その上、寝る前には必ずエロビデオに切り替えて、きちんと精を放つ。 

『悪人』(上巻 p.249)

これは前回の「死刑台のエレベーター」と同じシーンです。
「市民ケーン」はウィキペディアによると、「世界映画史上のベストワンとして高く評価されている」とのこと。
見ただけではそこまでの作品だと自分は見抜けませんでしたが・・・。
ただ、やはり鶴田公紀はただの映画好きではなく、かなりマニアックだということは言える気がします。

吉田修一作品とのつながり

・実の親の不在
・現在から過去を回想するスタイル
 →『悪人』の叙述スタイルに通じる
・ある男の一生
 →『国宝』もある男の一生を書いている

以上で、「市民ケーン」については終わります。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

画像の出典:映画ドットコム「市民ケーン」  

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