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noteで書くという幸せ

ミニチュア作家のいわなり ちさとです。
紹介した作品は販売します。気軽にお問い合わせください。

先日、綾野つづみさんのこんな記事を読みました。

Chat GPTは賄賂に弱いって面白い考察でした。
政治家だけのチャットなんかを学習したら、もっとすごい才能を開花させるかもなって思いながら読みました。


最後のところでこういう文章がありました。

AIでいくらでも文章が作れる時代。ぶっちゃけ、それなりの時間をかけて、こんな文章を記すことになんの意味もない。それでも、わざわざ書いて発信してしまうのはここに心があるからなのかも。極論、書くことでしか、我々は自分の生をまっとうできやしないのだ。

「我思う、ゆえに我あり」

 思うとはすなわち書くことである。

この下りに、ああ、noteで書けるって人として幸せなんだなと納得しました。そして、コメントにそう書いたら、

ミニチュアちいさん
書いて読むって、当たり前なことのようで、改めて考えると、とても尊いことですよね😌
わたしもつくづく幸せだなぁと思います!

とコメントを返していただきました。

あふれる想いを文字にする。
そんなことができるのって人間だからだよな。

世界はどんどん変わっていって人の思考も変わっていっているのは感じます。

いかに効率よく生きるかが命題なら、私は、私の仕事は恐ろしく時代遅れ。

だからって、私はちっとも不幸ではないのです。

自分の作りたいモノ、私に作ってほしいと言っていただいたオーダーを仕上げていくことは私にしかできないこと。

稼ぐことに特化すれば、今の価格の10倍にしていくのが正当かもしれません。それくらい大変なのです。

でも、その大変さと同等の喜びを味わっているので、稼がなければという思いがなくなっています。

もちろん、子供を育てた時期は数をこなしてでも稼ぎました。

でも、今はもうそんな必要はないので、自分の想い、心を一番に考えます。

稼ごうとしていた時は意識はおのずと外向きでした。
今は内向き。時代も変わってきましたね。

内省しながら、でも、なにかしら手を動かします。今のように文章を書く時もあるし、動画を見ながら編物をする時もあり、もちろん、粘土細工をはじめとしたミニチュアの制作をしている時間もあります。

来月には稲の苗作りをスタートさせ、今年も田んぼをします。
JAしまねはJAに属する農家には猛暑、資材高騰対策としての支援金を出すそうです。意欲減退を懸念してのことだそうです。息子は農業法人に勤めているので、少しでも負担が減るといいなと思います。

私は組織に属さないので支援金など期待することもできませんが、その分は何の縛りもないので、好き勝手にやりたい多年草化を続けます。

この稲作も私には意識が内向きになる作業の一つなのです。

ただ、稲作をするのではなく、noteで記録していくことで気付きがあるのです。

田んぼで感じたことをnoteで文字にする。
人ゆえの行動なのです。

手も動かし、頭も動かして感じ、書き、読んで生きるという綾野さんの言葉を借りると”とても尊いこと”をやれる幸せをかみしめながら生きていこうと思います。

やっぱりAIじゃなくてよかったよ。

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