今を生きる。ということ
最近バタバタと日々忙しく、やりたいことも、やらなければいけないこともあって、
そのわりに、どれもまともにできていないような。
noteを書くことも、読むことも後回しになってしまう現実。
気づけばもう1月も終わりがみえてきた。
トホホ。
そんな、この1月。
「今を生きる」ということを考える機会が多かった。
最近よく聞くし、自分でもそこがものすごく大事だということも分かってきた。
それでも、ちょっとバタバタすれば
昨日何をしたのかも、今日何を食べたかも
忘れてる時もある。
ひどいもんで、ここ最近は洗濯物は寝ながら畳んでいる。以前も睡魔にやられながら日常をすごしたことを記事にしたが、
今週は特にその傾向にあった。
「今」を感じながら生きること。
一瞬一瞬すらかけがえないものとして
ちゃんと感じること。
言うのは簡単だけど、その感情に浸ることもできない時はなかなか難しいですな。
睡眠時間も食事も蔑ろにしているようでは
今を感じるような健康的な思考には中々巡り会えなかったりもする私。
ちょっとしたゾーンみたいのに入っていれば次から次へと、そういった感じの気持ちはどんどん湧いてくるんだけどな。
だけど、、毎日毎日、「今」を大事にしながら生活するのも、まあまあ根性がいるなぁ。
とも思う。ちょっと疲れちゃう。
ムダと思われる時間や、くだらない出来事が
愛おしくなる。
人生の中で、一大事がおきてる時は、
おそらくそういった「生きる」ということに
非常に敏感になっている。
たぶん、大事なことに気づくための時間になっているのだろう。
「今を感じる」こと。それが、
良いも悪いも全て身になっている。
そう思えるようになるには長い時間がかかるかもしれない。
いや、
長い時間をかけようが、かけまいが、
全て意味があって、身になっていることを
知る時は必ずくると今だから思える。
私は、今のところ凄く良い人生を過ごせていると思う。
何が?と聞かれればはっきりとは言えないけど、それくらいアバウトに日々に幸せを感じたりしている。
他人から見れば「不幸」と思われる要素が
たくさんあろうとも、それを決めるのは他人ではなく、私だから、私が「よし!」とすればそれでいい。
他人からの同情や哀れみを受けないだけの謎の自信がある。
(もちろん、優しい気持ちや言葉や親切は心を全開にして受けとる!)
その謎の自信は、一大事に知った沢山の
マイナスの感情をずーんと一身に受け、
立ち直れないと思うほどの辛さに抗ったり、流されたり、ごまかしたり、、
その時の「今」を十分に感じてきたことが
大きいと思っている。
とことん落ちてもいい。沢山泣くのもいい。
どんなでもいい。
それは今を生きている証拠だから。
暗闇があるから、わずかな光も感じられる。
長い時間が経った今になっても、まるで昨日のことのように思い出せる暗い陰は、こっそり私の中で共に生きている。
だからこそ、その分、何でもなく過ぎていくような毎日の中にも陽を知ることができている。
ちなみに、私は何のために今を生きているか。というと、
「あー、私の人生、おもしろかった!」
と笑って最期を迎えるためだ。
それが私の軸になっている最大の目標である!
私が笑って最期を迎えるために、
今のうちから周りにそれを感じてもらわなければいけない。
たくさんの感情を経験して、最期の目標に
向かって、生きている。
「あの人はいつもおもしろく過ごしていたからね。」と知っててほしい。
私のそれが近づいた時、私のところで笑っていてほしい。
最初だけちょっと泣いてくれていいよ。
でも、その後はできればお祭り騒ぎしてほしい。
ワッショーイって。
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