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私を生きる 〜父と甥っ子の20年〜

2024年4月2日

本日は父の20年目命日
甥っ子と同じ年数、あと1週間生きていてくれれば、彼に会えただろうけど、ちょっと間に合わなかった。

安らかな眠りだったと思う。

多発性脳梗塞を発症して、片麻痺はなかったが、失調症状があってフラフラしている父だった。元々糖尿病があり、網膜症にも罹患していた。少し落ち着いたかなと思ったそんな中、心臓の状態が悪化してまた入院。

「ちょっと別荘へ行ってくるわ!」

ウヒャヒャ笑いながら言う、これが父の口癖。
何が別荘じゃ(怒)と反論するのが私。
これが日常だった。

入院後少しずつ持ち直して、仲良くなった男性看護師さんと一緒に車椅子で病院内の美容院に行ったり、売店で好きなお菓子を買い込んでいたようだった。
「皆さんにわがまま言うんじゃないよ・・・」と思いつつも病院にいてくれてホッとしていた。そんな矢先に、病院から父が亡くなったことを知らせる電話が入った。

朝方、床に倒れていたとのこと。どうしてそんな状態になったかわからなかったが、父の安らかな顔をみた時、「この人、思い残すことはないんだろうな〜」と思った。

あとで看護師の従姉妹から聞いたところ、亡くなる直前に「中直り」という状態があるからその時に起き上がって動いたから床に倒れたんじゃないかなということだった。調子に乗りやすい父だった。充分有り得ると納得した。

父を迎えに行った時、担当してくれた男性看護師さんから、美容院や売店での様子を聞き、発見時の状況も詳細に聞くことができた。涙目になりながら説明してくれる彼に、とても感謝したことを覚えている。先生・看護師さんたち、全ての人が父に優しくしてくれたんだと思い、感謝しかなかった。発見時が床に倒れていたこともあり、病院も説明には慎重になっていたんだと思う。けど、安らかに微笑むような表情をしている父が「よくしてもらったからごちゃごちゃ言うんじゃないぞ」と言っているようだった。

隣では臨月を迎えていた義妹が「帝王切開でもいいから孫を見せてあげたかった」と泣きじゃくっていた。一人の女性看護師さんがずっと付き添ってくれていたことを思い出す。
彼女には「父ちゃんはそんなことをして孫の成長を止めることを許す人じゃない」
そんなことを伝えた記憶がある。

20年前のことなのに、いろいろ思い出せるもんだな・・・

父が亡くなって20年と言うことは、甥っ子もいよいよ20歳。
彼へのメッセージは別に記したので、彼には私が亡くなったあとで読んでもらえると嬉しい。



今日はランニングではなく、散歩。
遠回りして、桜並木の歩道を歩いた。

今年はまだ蕾が多い
この木は満開


父のことを想い、1ヶ月後に命日となる母のことを想い、ゆっくり歩く。
父や母は自らの「病気」や「死」をどのように受け入れたのか・・・
私はまだ抗いたい。
両親が亡くなった60歳の壁。
私の精神的な壁。
私は壁を壊してその先を生きてみたい。

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