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内省×片付け:物持ちでモノが捨てられないのは、自分への免罪符か

こんにちは、いかがお過ごしでしょうか?昨日の断捨離に引き続いて、今日も断捨離を続けています。仕事があったので、仕事終わってから少しやれた程度だったのですが、なぜ何年も使ってないものが押し入れの中に今日も保管されていて、今この瞬間もなぜ捨てられないのだろうか、と感じた次第でした。

これらのモノは捨てても問題ないと思うのですが、それがなかなか捨てられない。。。それで昨日の投稿をした次第でした。

実は3年ほど前に 片付けで有名なこんまりメソッドを実践したことがありました。その時には本は10分の1の量まで減らすことができ、服も4分の1の量まで減らすことができました。それでも時間が経過し、モノがある程度増えてしまっていたというのが私の現状だと思います。

〇捨てられないモノは大事なものというより、自分のコンプレックスの塊

私の場合、捨てられないものというのに、本やプリント類があります。学習したときの、自分で作った大学ノート(今の人たち分かる?)なども、今は全く使わないのですが、なかなか捨てられずにいます。

勉強しようと思って放置してしまった雑誌や本などもなかなか捨てられずにいる状態です。。。

勉強しようと思っていたことなのに、何カ月・何年も時間が経過し、本棚にあり、そして現在もなお使われることなく置かれている。。。
これって「自分のコンプレックスの象徴」としてこれらの本・プリントがあるのだなと思いました。

別の言い方をすれば、自分自身への免罪符となっているのですよね。

自分の頭の中にはインプットされていないけど、本やプリントという形では情報を持っている、ということで自分をかばおうとしていると言いますのでしょうか。

〇コンプレックスの塊としての本・プリント類は活用されることはない

しかし、コンプレックスの塊としての本・プリント類は活用されることがなく(数年間開かれていないですし)、そもそも「情報検索できる状態になっていない」ですし、その物事への体系的学習ができていないので、知識検索の仕方も適切な状態ではできないようなことになっていると思います。

自分の生まれたときの子供の写真というような、思い出のモノならともかく、自分の部屋にあふれている本・プリント類というのは必要になった時に改めて手に入れればいいものであるので、手放すのが必要なのだなと思いました。

というわけで、私の断捨離は引き続き、やっていきます!

明日から平日で仕事が本格稼働ですね。明日も元気に頑張っていきたいと思います!
それでは、また!!

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