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ええ加減にできないなぁ。とか思うnoteのある部分的なこと。



閲覧ありがとうございます。


うっかりしていたら、もうすぐ、noteで書いた記事が200とかになります。

「えー200なんか、全然凄くない。」と、毎日note組さんからは、思われるでしょうし、

「ずっげー!わたしなんか、多分、ロサンゼルスオリンピックまでにも200も行かないかも」

という、超絶マイペースマイロード組さんからは、
思われるでしょう。


noteでは、自由に、自分の好きな分野を、「楽しみながら」、書きましょう。

というのが、マニュアルなんだと、解ってはいるの
ですが、最初の頃のわたしは、「クリエイター」とは、「フォロー」とは、「スキ」とは、、
と、ガッチガチに、真剣に、考えていたと思います。アホですから、フォローしてくださった方々を
「全員」、覚えなければとか、政治家みたいなことを思っていました。


最初は、わたしでなくても、誰でも、力むのではないでしょうか。知らない世界で知らなかった皆さんと、その記事に触れるのですから、比重は、大きいと思います。


しかし、一つ記事を書くとき、
「こう書いたら誤解されないだろうか」

「ああ書いたら、あのフォロワーさんの書いた記事とは真逆になるから、反論と、取られないだろうか」

「DEATH NOTEみたいな文章書いたら、心配されるかな。だから、書かない方がいいかな。」

とか、今、考えたらば、「お疲れさん!」と、声かけたくなった初期のわたしなんですが、


今では、「そんなに青筋立てて、他人の記事を読む人はいないし、どんな内容であれ、皆さんは、他人の記事は尊重しているから、気にしないでよろしい。」と、いうことを知っています。


noteにいる期間が長くなると、そういう暗黙の空気がわかるようになります。
それは、「慣れ合う」とか、「気軽になる」とかではなく、note世界を「理解する」という感じです。


今、初期のころに比べて、ダンチで、あまり考えなくなったのは、記事に付ける「題名」です。
最初のころは、悩みに悩み、要点を掴んだ言葉を簡潔に、とか、綺麗な語句がいいなぁとか、4回転半くらい、頭をひねっていたのですが、なんだか、だんだんと、本来のテケトー、ええ加減精神が、パワーを発揮しだし、文章みたいな長い題名が増えてきました。


例えるなら、アマゾンでラノベを検索したら、
お花畑のように出てくる「異世界」ものの、
題名のような感じです。

「リアルでサッポロ一番味噌ラーメンばかりを食べていた俺がパンダが支配する異世界に飛ばされたので、笹以外の食品開発がんばります。」

とか、

「異世界で悪役令嬢の猫に、生まれ変わった信用金庫勤務のわたしが、悪役令嬢の財産を根こそぎ戴く物語」

という感じです。(そういうラノベはありませんが)



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題名や、記事の内容事態は、気にするのは、自分だけなんで、マナーに反しない限りは、テケトーでいいやと思っていますが、


note機能のある一部分だけは、わたしは、ですが、
神経使わねばならんなぁと思います。
それだけは、いつか、この場所を忘却するまでは、
マイルールにすると思います。


やはり、「コメント」欄。
他人さまを巻き込む、場所だけに、ほったらかしの
知らんぷりは、性格的に、できません。
過去記事に、コメントをいただいた場合は、極力、
気がついたとき、「スキ」か、「コメント返し」の
リアクションをしていますが、全然、気がつかず、
一ヶ月くらい経った場合もあり、申し訳なく思う場合もありました。ありましたが、100%は、無理なんで、「自分の及ぶ範囲で」、やっていくことにしています。


noterさんによっては、コメント辞退します設定を
したり、最初から、コメント返しはしませんので、と、お断りしていたりもするので、これもまた、人それぞれなんだな。と、思いました。


わたしは、他人さまの記事にコメントしたい派なんで、自分のもコメントwelcome派です。
やはり、自分のは辞退してるのに、他人さまへは、
バリバリコメントするのは、気が退けるかなと思ったりします。


しかし、note歴50年(いったい何歳やねん)という猛者になった場合は、自分の記事だけに精進するかも
しれません。(爆)


もう、3月、月日は、過ぎるのは早く、noteの中の皆さんの顔ぶれも、変わるのが速いかなとか、思う、この頃、いつの間にか、いなくなった、あの日、あの頃、コメントで、会話した皆さんが、
穏やかな日々を過ごしておられますようにと
思います。


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