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いざ介護の仕事へ

その時僕は焼き芋の移動販売をやっていた。結構売れていて、お客さんもついていた。1日の経費を引いた利益は平日で12000円、休日で25000円ほどあった。時間は自由に使えるし、仕事はとても楽しかった。自営業のようなものだったから月に1日も休まずに働いた。自分の感覚では、働いているというよりも、遊んでいるという感覚で楽しんでいた。でも、焼き芋の移動販売の仕事は「ヤ」のつく組織と繋がっていた。焼き芋の移動販売を経営している売り子の元締めは、「ヤ」のつく組織の企業舎弟だった。その事実が分かった時、辞めようと思った。毎週買ってくれるお客さんで、庭師の社長さんがいた。その社長さんがこれから介護が伸びてくるから、あなた、優しそうだから介護やってみたら?と突然言われた。焼き芋の仕事も良いけど、長く続けられる仕事じゃないよ。と言われた。丁度いいタイミングと思い、焼き芋からわらび餅へ商品の入れ替わりのタイミングで焼き芋屋をやめて、介護の仕事への就職活動をした。すぐに入職できるだろうと思っていたが、中卒だった僕は、高卒以上という条件に阻まれ、面接さえしてくれないという企業にがっかりした。とりあえず働かなければならないので、期間社員で車関係の仕事をしながら、介護の仕事で働かせてくれるところを探した。それから2年たち、介護の仕事就職できないかもと諦めかけていた頃、たまたま言ったラーメン屋さんにあった無料の就職雑誌に募集されていた老人病院に問い合わせた。すぐに面接してくれて採用になった。1997年11月のことだった。
僕は認知症棟に配属された。とてもユニークな人達ばかりだった。職員も良い人ばかりで、休みを合わせてハイキングに行ったりした。認知症の人達を介護していると、認知症の方達は、何も分からない人達じゃない。適切なケアをすれば物凄く輝ける人達だ。と思えるようになってきた。そして僕は認知症の研究をすることにした。それは今も27年たった今も随時更新中。

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