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【引用】サド『閨房哲学』

今回読んだのは、マルキ・ド・サド(Marquis de SADE)[1740-1814]『閨房哲学』(澁澤龍彥訳、河出書房新社、河出文庫、1992年4月、東京)です。

以下、引用した文章になります。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

2024年4月5日 12:17
現実問題として、社会人に必要とされるのは、はたして美徳であろうか、それとも美徳の見かけであろうか? (略)。社会人というものが、互いに軽く触れ合って生きているだけのものだとすれば、ただ表面を見せるだけで十分ではないか?

サド『閨房哲学』1992: 98

2024年4月5日 13:41
われわれすべての母である自然は、いつも自分のことだけ考えていればよいとわれわれに教えているのだ。(略)。自然の声のなかに、われわれがはっきり聞き分けるのは、あらゆる他人を犠牲にして、みずから快楽を求めねばならぬという、万古不易の聖なる意見だ。

サド『閨房哲学』1992: 111

2024年4月5日 14:24
ああ、理性の働きをすっかり奪い取って、われわれを盲目同然にしてしまい、熱愛する相手がいなければ生きている甲斐がないとまで思わせる、あの恋愛の陶酔境くらい、ひとを欺くものは世にもあるまい!

サド『閨房哲学』1992: 131

2024年4月5日 14:34
数ヵ月間楽しめば、たちまち相手の正体が分ってしまって、(略)、赤面するのが落ちなのだ。どうしてそれほどまでに相手に気を惹かれたのか、われながら理解に苦しむような場合さえ、しばしばあるものだ。

サド『閨房哲学』1992: 131

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