陰キャASDが感じる、人間社会の難しさ。

 私は、職場の休憩室で定型発達の人達と居るとき疑問に感じることがある。

それは、雑談だ。
 私は、兎に角場に馴染むことが苦手だ。と、言うよりその必要性が分からない。皆でワイワイ談笑してプライベートな話で馴れ合う必要性がわからないのだ。しかも、暇な時におしゃべりして、逆に脳が疲れはしないのか疑問でもある。私は、休憩は、一人で静かに過ごしたいタイプだから不思議に思う。休憩時間におしゃべりしワイワイしたら、逆に脳が疲れないのだろうか?
 確かに、雑談は仕事はしやすくなる部分はあると思う。だけど、色んな人とまんべんなく雑談を楽しむ事に意義を見いだせないでいる。
 友達じゃないプライベートの付き合いのない人に対して自己開示していき、コミニケーションを楽しむ(または、楽しいふりを装う。)意味がわからないのだ。

 私は仲良くしたい人、性格や趣味嗜好が似通っている人とだけ雑談楽しみたいが、定型社会ではそれは駄目らしい。仲良くない人と、好きじゃない人、苦手な人や嫌いな人とも別け隔てなく、程よい距離感で適切なリアクションを取り良い顔する。そして、社交的に振る舞うことが良いらしいー。また、日常的な些細な話から世間話など、色んなジャンルの話題に乗らなくては共感もしなくてはならない。
私は、興味関心のある話題にしか乗ることが出来ない。

ホントに疲れ果ててしまう…

人間社会は、難しく大変に思うこの頃。


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