アジア系アメリカ人一家のワンオペお母さんが辛かった・・・映画「Everything everywhere all at once」

見てきました。

それぞれのシーンは面白い。MoMaとかテート・モダンでやってるビデオ・アートみたいなのもある。

でも、マルチバースなストーリーに頭の中が大混乱。IMAXで前から3列目で見たためか、映画館見た後、疲労でドトールで寝てしまいました。

その後振り返ると、「これって、お母さん(エブリン)のワンオペの話なんじゃないの?」って思った。

現実の世界では、エブリンが税金の申告もコインランドリーの仕事もお父さんの世話も一人でやってる。そしてマルチバースの世界でも、娘を取り戻すためにカンフーで敵と戦うのは主にエブリン。

最後、現実の世界に戻ってきて、夫の愛に気づいて感謝、娘と和解、お父さんも許す。
この後もずっと、この一家では、エブリンにおんぶに抱っこの日常が続いてもいく予感。

ミッシェル・ヨーへのレスペクトして、いろんな見せ場を作っているのは素晴らしいと思うけど、ストーリーの根幹が、「お母さん、ありがとう。これからもよろしく」みたいな話に思えた。

このストーリー、多分、白人一家だと、お母さんが犠牲になってる話としてあまり受け入れられない気がする。「アジア系のお母さん」だから、受け入れられているような。

それがアジア系アメリカ人である監督の一人、Daniel Kwanにとってのリアリティなのかもしれないけど。

あと、レズビアンの娘(ジョイ)の不満そうな感じが、私にはワガママに思えた。お母さんとして、セクシュアリティやガールフレンドもあれくらい受け入れてればいいんじゃないの、って思った。あと、虚無感はお母さんが解決する問題じゃないのでは?と思った。

そのことを20代のゲイに話したら、「うちの親もあんな感じ。映画のこの部分にはすごく共感した」と言ってて、びっくりした。今のZ世代のLGBTQとって、家族はもっと「心の底から」子供のセクシュアリティを受け入れて、サポーティブでないと不満、ってことなのかも。たしかに今の時代、そういう家族もあるだろうから、「そういう親に比べてうちはダメ」って思うのかも。

あと、アメリカの若い世代は、セラピーとかカウンセリングを受けてる人がすごく多いそうだから、娘の虚無感(ベーグルの穴に吸い込まれる)の話も共感できるのかも。そういうのは自分で解決する問題とは必ずしも思ってないんだと思う。でも、私はやっぱり、お母さんが助けてあげる話でもないと思うんだけど。

ツイッターでは、この映画がクレヨンしんちゃん(映画版)と似てる、って感想

があって、私もそう思う。家族が大きな敵と闘う、ってところが似てると思う。

だけど、みさえはそこまでワンオペではないと思う。お父さんや幼稚園の先生や友達も、それぞれ頑張ってる。首都圏の核家族の話なんだよね。

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