見出し画像

白い巨塔3

白い巨塔第三巻を読み切りました。

文章が堅く専門用語も多いので、初めの頃はとても時間がかかっていましたが、
二巻、三巻と読み進めるにつれ面白くなってきて、読むスピードも上がってきました。

これまで、財前派vs東派で繰り広げられてきた熾烈な教授選の構図が、今度は財前側vs患者側という医療裁判にとって代わります。

教授に昇進した財前はドイツの学会にお呼ばれし、観光も兼ねて長期滞在しますが、外遊中、出国前に手術をした患者が亡くなり、遺族らは財前の術前術後の不誠実な態度に怒って裁判を起こすわけです。

特に印象深かったのが、十六章。
ちょうど、ドイツ観光を楽しんでいた財前のところに、患者が亡くなったと電報が届くシーンです。

財前は、ナチスがユダヤ人を大量殺戮したダッハウ収容所を見物していました。
ガス室や死体焼却場がそのままの形で残っているのを目の当たりにし、さすがの財前も心を痛めます。

ナチスの冷徹さに不気味さを覚え、難民アパートとして活用されるかつての収容所にこれが平和というものかと空しさを覚える。
財前も人間らしいところあるじゃん、と思わせられます。

これは人間の残した最も望ましくない姿だ、もし日本人が、こんなことをしたら、あらゆる手段を尽くして隠蔽してしまうだろう、ところがドイツ人はそれを遺している
(中略)
ドイツ人は、人間の遺したこの最も望ましくない記録から眼を逸らさず、これからの人間はどうなければならないかという問題を考えさせようとしているのだろうか

こんな言葉が出てくるほど、ナチスの負の遺産は財前にとって衝撃的なものだったと伺い知れます。

見物を終え、後味の悪いままホテルに帰り着くと、日本にいる里見助教授から電報が届いていました。

ササキシス」サトミ

佐々木というのが、財前が出国前に噴門癌の手術をし、術後何の手当もしなかった患者のこと。

十六章は、

財前は電報をまるめて、ポケットにねじ込みながら、たった一人の患者の死を海外出張の旅先にまで伝えてくる里見の非常識さに腹を立てた。

と結ばれます。


ナチスのむごい仕打ちに胸を痛める一方で、佐々木のことは「たった一人の患者の死」と切り捨てる。
対照的な財前の態度が描かれています。

その矛盾した態度に財前自身は気づかないのか。
あるいは、ナチスが「大量殺戮」であるのに対して佐々木の命は「たった一人」死んだだけ。
そういう意味では矛盾はなくて、ある意味一貫しているのか。

むむむ、と考えさせられた章でした。

思うに、財前は、実はコンプレックスの塊なんじゃないかと。

貧しい助手生活を耐え忍んだのち、財前家に婿入りして、義父の後ろ盾と自らの腕で上り詰めた成り上がり者。
それだけに、手に入れた地位や名誉は絶対に手放したくないのでしょう。
偉そうすぎる財前も、実は心の奥底ではビビリで小心者なのでは?と思ったり。
この手の人は現代の我々の周りにもけっこういたりしますよね。

さあさあいよいよあと二巻。
自ら白い巨塔を去る決断をした里見助教授の行く末も気になる〜〜!!

引き続きマイペースに読んでゆきます。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?