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シュレディンガーのラット

わたしは普段[自傷は正当防衛、自殺は過剰防衛]と自分にいいきかせているのだけれど、
たまに[自殺未遂は正当防衛、自殺成功は過剰防衛]とすり変わることがある。
つまり、一か八かやってみた結果、生きたか死んだかどっちでもいいけど今生きているということは私の自殺は未遂におわり、それはきっと正当防衛だったのだろうというシュレディンガーの猫のようなそうでもないような結論に至るのである。

結局何が言いたいのかというと、この場合の自殺行動に意味は無いということ。自殺が成功しようが失敗しようがどうでもよいのである。

絶対に死にたいから自殺をはかるのではなく、なんでもいいからとにかく自殺行為をしたい。結果は後回しなのだ。

今私が生きているということは、今までの自殺はすべて未遂に終わったのだ。うっかり死ぬか、うっかり生きるか、それだけの差。次は死ぬかもしれない、もしくは次も生きるかもしれない。

たったそれだけ。
たったそれだけ。

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