お母さんは月見草
親子のたとえ話
どうしても(合わない)お母さんとお子さんが
相談に来られる事がある
お母さんは、お子さんを気にかけているし
お子さんは、お母さんを決して嫌いではない
でも、なんか(合わない)んだと
実際、2人は何かあるたびに妙に噛み合わない
人間、不思議なもので
この(なんかちがう)という感覚は
正しい答えよりも先にわかるらしい
これも暗黙知の一つかも知れない
こういう時、僕も専門家らしく
あれやこれや とやってはみるけれど
そうそうお互いの思うようにはゆかないものだ
お母さん
はい
これはどうも僕が思うに
お母さんとお子さんは同じ血が流れておりますが
お互いに違うところがあるようですよ
実は私も、あの子がどうしても分からないところがあるんですよ
はい
あの子は思いついたらパッと動かないと気が済まないんですけど、私は昔からよくよく考えてから動きたいんです。
はい
あの子からしたら、私のそういう所がなんか違うのかも知れないんですが、、
うーん、たとえ親子であっても全く一緒にしようと頑張らなくても良いかも知れませんよ
「アンタと私って、こういう所が違うんやなぁ」
という風にお互い(違っている)事を一緒に共有してゆけばそれはそれで良いんじゃないですかね
それでも良いですか?
それでも良いんじゃないでしょうか
こんな風に控えめに言う事がある
お子さんは、花に例えると薔薇かも知れない
お母さんは、月見草(実際はこんな風には言いませんよ)かも知れない
親子であっても、違う花が咲く事がある
それで良いじゃないか
その人の木に、その人の花がちゃんと咲くこと
いつか、その人らしい実がなること
それがどんなにもむつかしくて
どんなにも尊いことか
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