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オバケ〜 幻視 錯視 座敷童子

もうすぐ2歳になる息子

誰に似たのか、よく本を読む
本といっても図鑑や絵本だ
因みに彼の愛読書は『おーい カバくん』だ

(これはなに?) 
絵本のイラストを指さす息子
これは メ(目)
(これは?)
これは クチ(口)
彼は世界の輪郭に少しずつ触れてゆく
 
図鑑になると大変で、あらゆる事象を指さすので、僕も世界の謎をひとつひとつ伝えるような気分になってくる。向こうは真剣そのものだ。

(これは?)
これは オバケ
いわゆるお化け👻(カーテンを被ったようなヤツ)のイラストで、こちらがオバケの真似をすると大変喜んだ。

彼はそうやって、ずっと言葉を溜めていたようで
ある時から、発語を盛んにするようになった。

イチゴは、ゴーゴ
氷は、コリ
と言った具合

その息子がある時、暗闇を指差して、こう言った

オバケ〜!

オバケがいるの?
オバケ!オバケ!

慌てて奥さんを呼んだ
いや、玄関には何もないわよ
ここカーテンもないね
なにも無いのよ
そうだよね

オバケ、、バーバ、、バーバ
お婆ちゃん?
バーバ 
バーバ
オバケ

うーん
怖いじゃないか、、

熱はない
怖くも無さそうだ

そう言えば、もっと小さい頃
同じ廊下を抱っこして運ぶ時も、そのあたりで
ぎゅっと目をつぶっていたな。
やはり、何か見えているんだろう。

ノイズパレイドリアテスト
という認知機能検査がある。

パレイドリアというのは、「視覚刺激や聴覚刺激を受けとり、普段からよく知ったパターンを本来そこに存在しないにもかかわらず心に思い浮かべる現象を指す」とある。
ようは、天井のシミがなにかに見えるような事だ。錯視という。

錯視の例

認知症の一つ
レバー小体型認知症は、しばしは幻視を伴う。
この診断に一役買うのが、ノイズパレイドリアテストである。

シミだけの紙と、顔が混ざった紙がある。
数枚お見せしてゆくのだが、ある人にとっては
シミだけの紙を見ても(人が見える)と反応することがある。

右の紙には顔がある

これとは別に、子供の視覚研究もある。
僕は専門外だが、ある時期までの子どもの脳は
大人が(なんの変哲も無い)と感じる空間を認識して、実際に脳の特定の部位が反応しているらしい。彼らには、本当に「見えている」のだ。

幻視や錯視は、確かにびっくりさせられるし
本当に気をつけて見守らないといけない時期もあるんだけれど、人間って普段から色んなものを見たり聴こえたりしながら、案外それに左右されずに暮らしているものだ。

東北には、座敷童子がいて、それが見える家は
栄えたという。
これは後年になって、高齢者の幻視
つまりレビー小体型認知症の1症状であったのではないかという考察がある。
脳神経内科と民俗学がここに交わる。

東北の民家で子供が見えたという現象は、
医学的には確かに病気であったかも知れないが
これは幸福な幻視とも言えるもので
見える人も、そこに見えた存在も排除しない。
むしろ、大事にされた事だろう。
そういう家系はお年寄りを大切に扱ったろう。

廊下には何も無いが、暗闇がある。
オバケがいるかも知れない暗闇を
明日も息子と歩こう。










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