「聴こえる」ことの幸せ
今、色々な音や言葉を沢山聞いている。
それは、「聴こえる」事が奇跡で幸せだということ。
それまでの私は、決して幸せじゃなかった。
沢山苦労をしてきた。
沢山辛い思いをしてきた。
就学前か、3歳児検診で、言葉や音への反応が遅れている事が分かり、
聴覚障害者になった。
その日から、音のない世界で一生過ごしていく始まりだった。
私にとって、音のない世界で一生生きていく。
数え切れないほどの試練や困難が待ち受ける始まりであった。
聴覚障害者にとって大切な一部のそのもの
両耳につける「補聴器🦻」という機械で、色々な音や言葉を聞き取るのを
助けるものであり、私には初めてのものだった。
かなり取り扱いを丁寧にしなければならなかった。
うまく出来るだろうか。と不安だったかも。
初めての頃は、何度も何度も嫌がって、ずっとつけられなかったそうだ。
長い長い時間をかけてからは、まるで違う音のように感じたのかもしれない。
「補聴器」は、私にとって何よりも代え難い宝物で、何よりも一番大切なものだった。
何より「聴こえる」事の幸せを感じた。
しかし、ある些細なきっかけで、突然の事で左耳から全てを奪われた。
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