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ちゃんと歩いてたよ

小学校1年の時のこと。学年ごとにまとまって帰ることが多かった。
私の登校班の同じ1年生の多くの子には、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいたし、夜遅くのドラマやバラエティーなどテレビも9時代まで見てる子が多かった。おませで、精神年齢も私よりずっとうえだった。
そんな中で、長女でそこそこ厳しく、それこそドリフもまともに見せてもらえなかった私は、みんなの話になかなかついていけなかった。

学校を出て、最初は2列にきれいに並んでいた登校班も、10分も歩けばぐしゃぐしゃになる。三列になったり、気のあう子と話したりして、その足並みはどうしてもゆっくりになってくる。

ぽつんと1人残された私は、ただ黙々と歩いた。しばらく歩いて、みんなと距離ができた時、私に気づいた子が「あっ」と声をあげて走ってきて、
私の前に大の字に立ち塞がった。真っ先に口火を切ったのは恵子ちゃんだった。

「どうして1人で勝手に行っちゃうの⁉️」

私は思わず口をつぐんだ。りえちゃんがもじもじと「さとちゃん、みんなと歩かなきゃ…」と言い、他の子が一歩踏み出そうと睨んでる。

なんでとうめんこ(とうせんぼ)するの?

私には訳がわからなかった。みんながおしゃべりしてゆっくり歩いてたから、普通に歩いただけなのに。

しばらく睨み合いが続く。

一面の蓮華ばたけのなかの一本道
黄色い帽子の子ども
きらきらそよそよと吹く五月の風
帽子が飛ばないように
私はおかっぱの髪と耳を塞いだ

「いっしょに行こ」

助け舟を出してくれたのも恵子ちゃんだった。
私は黙って従った。
誰も話してくれなくても、そこにいなきゃならない…これが「大衆の中の孤独」と言うものだと知ったのはそれから10年も立ってからだけど。

あの一面の蓮華ばたけの中の一本道で感じた孤独感は、今も私を切なくさせる。

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