脱・金魚のフン マインド #138

 小学生~10代の少女時代に、私たち3姉妹は、毎日スイミングスクールの選手コースに通っていた。
妹はジュニアオリンピックなどの全国大会に毎年出場、地域別大会ではライバルがおらず、一目置かれる存在だった。姉は妹ほどではないにせよ、関西大会に選抜されていたので、やはりそこそこ強い選手。
 
一方の私は、学校のクラス限定で水泳が得意だと自慢できるレベル。
姉妹のなかでかなりの格差があった。
妹がすごかったおかげで水泳漬けの毎日を過ごしたからこそ、それなりに上達し、クラスで水泳自慢できるレベルになった。

学生時代の唯一の自慢が水泳だった。
そういいながらも実際の私はスタミナ不足ですぐ疲れる。選手コースのスピードについていけない。
そんなこんなで、私一人だけ軽めの別メニュー。一人だけ足ひれをつけて泳ぐなんてこともよくしていた。
本来ならば私の泳力に適したクラスではない、特別枠。
まるで、金魚のフンのようだったし、当時の私もそれを自覚していた。

私が親なら、別のことをさせるかな?とも思うのだが、当時の私はその環境をむしろ喜んでいた。
「彼女は私の妹なのよ!」そういう誇らしい気持ちの方が強くて。彼女と一緒にいたかった。
 
妹は周りから「すごいね」と言われることも多く、他のちびっこスイマーのあこがれの存在でもあった。
私は「すごいね」という妹への称賛をまるで自分が受けているかのように錯覚し、その刺激をもっともっと求めるようになる。そのためには妹のそばにいたい。そんな心理状態だったのかなと思う。
 
今でもそういう考え方や発言をしてしまうことはあって、
知り合いにちょっとすごい人がいて、その人の話題になったときに、まるで自分事のように自慢する。
他の人の良いところに着目して、また別の誰かに伝えられるって素敵だと思う。
でも、自分ではない、誰かの自慢をしすぎると、「それは、あなた自身の話ではない。で、あなたはいったい何をしているの?」と空しくなり、何もしていない自分コンプレックスに襲われる。
 
だから、すごい人の金魚のフンになるのではなく、自分が金魚であるということ、つまり主体的に自ら動く、ということが必要なんだ。
 
金魚のフンが悪いという話ではなくメリットもたくさんある。

妹のおかげで水泳漬けの生活。夏休み期間は合宿があり、朝練・昼練・夕練と1日のほとんどを水の中で過ごした。
それだけ水の中にいると、少し軽めのメニューの私でさえ、1日に10,000メートル泳ぐ日があった。
こればかりは、自分でやり遂げたことなので、ものすごい達成感だったし、やればできるという自信につながった。
いや、自分で泳いだんだから、もはやフンじゃなくて金魚だね。
 
この経験は、後々の自己PRにも使ったことがあって
「子どもの頃は、水泳を頑張っていました。学校がない日は1日に10,000メートル泳ぐこともありました。」なんて、サラッとドヤっていた。
実際にはたった1日だけだったかもしれない、でも事実は事実だ。
 
きっかけは、金魚のフンでもいい。
そこからどうすれば自分も金魚になれるか、それを自分の頭で考えられるようになれば、もう金魚も同然だ。

私の場合は、自分の頭で考えていなかったので、とりあえず言われたとおりに行動した。
だから、マインドはいつまでたっても金魚のフンだった。

自分の頭で考えて、実際に行動することが大事。
考えられないときもある、そういう時は、まず動く。
ぶらさがりながらでも、動いていれば少しずつ筋肉はついていく。

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