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東京、もはや異国なり

東京、もはや異国なり。

先日久々に出張で東京を訪問した。高知から出てきてふと思ったのは、東京(もちろん都心エリアだが)は地方に住む人間にとって異国であるということだ。

時は2004年。今からちょうど20年前だ。進学で東京に移った際に高層ビルを見上げながら自分が感じたのは、「ついに東京にきたなあ」という感慨深さ。東京に対する漠然とした憧れと好奇心を抱いてきた地方出の人間がついにその地で暮らすことになったからだ。

しかし今回東京を訪れた際、日本橋から東京の八重洲口まで歩いたり、下北沢を訪れて感じたのは異国情緒だ。同じ日本であるにもかかわらず、ここまでの印象を抱いたのは、特に視覚、聴覚が普段とは大きな違いを感じとったからかもしれない。

まず、極端なことを言うと、高知はハード面でほとんど変わっていない。人口30万人強を有する高知市でさえ、まちなかにマンションが出来たり役所などの公的施設や一部の民間施設の建て替えや建設はあったが、ぱっと見の印象は変わらない。この高知市の中心で高校卒業まで育った自分は少なからずそう思う。つまり、この20年で行われた民間投資があまりにも限定的ということだ。一方、東京は言わずもがなで開発が止むことはない。世界中でメガシティ、大都市が誕生しているが、「日本買い」が始まった今、その中でも東京ではハード面での民間投資が今後も一層進められ、地方との視覚的な違いは顕著になるばかりと思う。

そして当然だが、高知と東京では普段眼にする人が違う。人口統計の数値が頭に入っていると、その統計通りの人口構成が現実世界で目に入り、そうだよねと納得する。高知では若い人が格段に少ない。イオンの中や市内の商店街を歩いていると、若い人も目にするが若年層がマジョリティということはない。私が住む人口2万人規模の自治体のスーパーでは高齢者の比率が明らかに高い。

しかし、東京のまちを闊歩すると、高齢者の比率は相対的に低く、若年層が圧倒的に多い印象を受ける。そしてインバウンド。高知もインバウンド観光の推進により外国人観光客は着実に増加しているが、数はしれている。今回の東京ではインバウンドが多いエリアに行ったからかもしれないが、英語や中国語、フランス語がどこでも耳に入ってくる。高知では海外の人と会話する機会はあるが、自然と耳に入ってくることはほとんどない。

そんなことを考えながら自分が思ったのは、高知で暮らす自分より若い世代、特に大学卒業前の子どもたちのことだ。 

今、政治家もメディアも少子高齢化による人口減少でヤバいヤバいと騒いでいる。今さらと突っ込みたくなるが、高知でも人口減少を最重要課題として、その課題を若年層の減少、婚姻率の低下、出生率の低下に要素分解し、それぞれに対策を講じようとしている。

特に若年層の流出が危機的ととらえ、県内に止まってもらったりUIターンを促進するため、奨学金の返還支援などの金銭的なインセンティブ施策を講じようとしている。

個人的には、このやり方は効果がないどころか、悪印象を与えてしまうのではないかと思う。インセンティブ自体が小さ過ぎる上に、せこいというか狭量と思われていそうだ。

結婚するしないとか、子どもを持つ持たないかは本人が意図的に選択する行為だ。分かりやすいため経済的な理由で説明しようとするが、思想の影響が大きい。最近、「人口は未来を語る」という本(筆者は有名な英国の人口学者、書籍URLコメント欄参照)を読んだが、同著によれば、少子化は国の政策より個人の思想が影響している。

未婚化、少子化はグローバルな流れだし、出生率の低下は日本や韓国だけでなく、子育てや教育の分野で模範としてきた北欧でも起き始めている。

そうゆう中で、人がいなくなるからといい(大したことない)お金をちらつかせ、若年層に高知に居続けてくれ戻ってきてくれ来てくれと請願しても、変化を起こすほどの大きな潮流にはまずならない。人口問題を政策で解決しようとして失敗している事例は世界中にいくらでもある。

高知の若年層は、高知から東京に行っているのではく、多分高知とは何もかもが違う異国に行こうとしているのだ。異国で学び、感じ、チャレンジしようとしている。

いつの時代も若年層が外の世界に飛び出して道は開けてきた。人口減少という長年置き去りにされてきた課題をこれからの若年層を持って解決しようという姿勢ではいけないし、そこにリソースも割くべきではないと思う。むしろ、高知は、東京(という異国)なり他の県外なり、そして海外なり、外の世界にチャレンジしたい若年層が、それぞれの好奇心を開花させ外に出ていく英気を養える場所でありたい。次の世代のために自分の世代で出来ることは何か、模索したいと思う。

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