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おやさまたより

私の天理教修養科ものがたり  パート21


 二回目の修養科は冬の時期だったので、朝の神殿ひのきしんなどはとても寒く暗く人も少ないのでかなり大変ではありましたが、そこは皆で力を合わせて出来るペースでこなしていった感じでした。
 
 長期ひのきしんお茶所の係になり掃除や接待の手伝いなどを交代しながら勤めました。そこでは別のクラスや違う期の人とも話が出来たりしました。

 時期も年末年始に丁度当たっていたので、おぢばでの年越しとなりました。暮の押し詰まったころ新年からの修養科生が詰所に来ていたので大教会まで4人で行って大教会に集まった人と一緒に何臼もの鏡餅を杵で搗かせて貰ったりしました。要領を得ないので腰が入らず恥ずかしい思いもしましたがいい思い出になりました。

 元旦祭にも詰所から早朝に参拝して結界の近くから神楽勤めを拝見することが出来ました。普段の月次祭だと人が多いので相当に早くに行って座っていないとみることが出来ないので、初めて神楽面を付けて人間創造の元の理を象った神楽勤めを拝した。私の座った位置からは、真柱後継者太亮さんがクニトコタチの面をつけて踊られているのが見えました。

 おぢばでは、各大教会から鏡餅がお供えされて正月三が日の神殿に柱のように何本も奉納されますが、4日にはその鏡開きが本部の勤務者や青年・学生など沢山動員されます。修養科生もその中で餅を運ぶ係としてひのきしんしました。
 広い神殿の畳にシートが敷き詰められ何台もの餅の裁断機が設置され、二人一組で大きな鏡餅を細かく切り分けられたのを、大きな袋に入れてて私でトラックまで運搬します。私たちは階段のところに設置された滑り台の脇で下へ送っていくひのきしんでした。
 人海戦術でスムーズに行くときもありましたが、トラックの出入りによって流れがストップしたり急に袋が重くなって結構きつい作業でもありました。それでも普段には経験できない貴重な体験だと思いました。

 さて、その翌日から三日間は毎年恒例の「節会(おせち)」が本部の境内にテントなどが設置されて帰参信者に雑煮が振舞われます。
 その期間は特別ひのきしんで餅焼きや出入り口の案内それに雑煮用の青菜を切る係が当たります。私はテント会場の出入り口の案内係でした。
 全国各地から正月のおぢばに帰って来られた沢山の人に道順などを挨拶とともに手振り身振りでひのきしんさせて貰いました。

 そんな慌ただしい年末年始を何とか乗り切ってほっとしたところに、前に述べたようにインフルエンザにかかって高熱を出したというわけです。
 これは、成ってくることすべてが親神の手引きだと思わざるを得ませんでした。思案をしたことが正解と受け止めてもらえたのかどうかは分かりませんが、その後は順調に卒業までの流れに入ることが出来ました。

 詰所での最後のメインイベントは「搖拝式」です。これは祭儀式から始めて、座り勤め・十二下りの手踊りまでを、詰所の勤務者なども総動員され大教会の親神様・親様・御霊様を遥かに拝して勤められます。
 私は二回目でもあり自教会でのお勤めも欠かさずに出ているので、鳴り物やお手振りのおさらいをさせて貰ったようなものでしたが、修養科では先生方の目もあり自教会で勤めるより緊張します。特に祭儀式は一期・二期で役割を変えて賛者や扈者などの役を経験しましたが、三期生は祭主を勤めなければならずこれは自教会でも経験したことのない大役だったので緊張で足の運びが何度ももつれ、指導を受けた詰所主任のS先生から厳しい指摘を頂戴し、そのたびに震え上がる気持ちになりました。

 その成果があったのか、本番では何とか祭主を勤め「搖拝式」も無事終えることが出来ました。
 S先生の後評で「歌舞伎役者のようでした」と褒めてもらったのですが、少し神様に対する心がこもっていないと言われたようにも自分では受け取りました。それはその後地元に戻って、自分の教会で指図方などをする時にも毎回必ず思い出され気持ちを引き締める言葉になりました。

 修養科のクラスでも卒業に向けての日々が加速度的に早くなったのは一回目と同じでした。
 布教実習はインフルエンザで参加できませんでしたが、鳴り物総練習では普段やる機会が少ない小鼓を三ヶ月練習し参加しました。やはり姿勢を大切にすることを教えられました。
 感話大会ではよく食事やおさづけの取り次ぎ合いをしていた仲間が、全く未信者だった環境から身上を通して修養科に入り三ヶ月過ごした心の変化を話してくれました。他のクラスからもそれぞれに感動や共感を覚える感話が聞けました。

 クラスの仲間との別れが近づき一人一人に似顔絵を描かせてもらいました。そこに好きな言葉や私の感じた言葉などを添えて小さい色紙に、一日二人から三人くらいづつ描いたのですが、喜んでもらえて私も感謝の気持ちを伝えることが出来ました。
 入学時には14名でしたが、ひのきしん担当の3番組係のIさんが途中で深刻な身上が分かり入院されたので、写真を見るのではなく自分の印象を基にして似顔絵を描いてほかの仲間のメッセージと一緒に見舞いにしました。

 私と三か月間一番近くにいた教会長のFさんも似顔絵を描くことは出来ましたが、卒業の記念写真の撮影の頃から姿を見ることが出来なくなりました。
 
 もちろん詰所の仲間や世話になった先生方も記念として似顔絵を贈りました。修養科の担任副担任の先生は写真を基に大きい色紙の真ん中に似顔絵を描かせてもらい皆の寄せ書きを周りに並べて贈りました。

 私の天理で二回の修養科生活をエッセイにまとめてみて、どんなに自分に影響を受けたのかがよく分かりました。書き足らないことも多いですし、言葉にできない思いの方がずっと多いですが、修養科生活最後に見た冬の夕日の眩しかった記憶と同じように、これからの私の人生を照らし見守り続けてくれることだろうと思います。

             完

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