見出し画像

社会人大学院(通信制)、悲喜こもごも

社会人が通う大学院(通信制)の修士1年の授業が終わりました。あとは最後の授業であった「演習(グループワーク)」の成績がつき、修士2年生になれるのか、修論に取り組んで良いのかの判定待ちです。

私が通っている大学院は、大学の広報によると「20代から80代」「あらゆる立場・職業の人々が集う」そうです。在籍している分野(70名強)を見渡すと、70代~はいないかな、という印象です。60代、20代は少人数ですがいると思います。30代~50代が多いと思います。

みなさん社会人なので、それぞれが仕事をし、それぞれの道のプロフェッショナルの方もいれば、アルバイトをしながら学んでいる人もいるようです。仕事がものすごく忙しく、授業のグループワークになかなか参加できない人もいたようですが、そんな環境の中で大学院に入ろうと思う熱意はすごいと思います。

さて、ここから私が一年間在籍して感じたことを述べたいと思います。その前に、この大学院の状況を少し説明すると、

・入学審査は書類審査のみ。落ちる人はあまりいない(と思われる)。
・学費は年間36万円。もっと高いところも安いところもある。
・通学の必要はない。そのため、全国各地、海外からの留学生も多い。
・芸術系の大学院である。
こんな感じでしょうか。

オンライン完結型で通学の必要がないため、日本全国各地から、また海外からの留学生も多いです。あまり人付き合いが得意でない人や、病気の方も一定数いらっしゃるようです。

私の所属する分野は”コミュニケーションデザイン”を研究するところで、週末に怒涛のように行われるスクーリングも、学生同士のディスカッションが中心です。

穏やかに進むことがほとんどですが、年齢もスキルもバラエティに富んだ中でディスカッションするので、若い人は遠慮するかもしれないですね。でも、親と同じくらいの年代の人と対等にディスカッションできる機会はあまりないので、遠慮なく話して欲しいです(親の年代のものとしては)。

一年生の後半には、半年間かけてグループワークが行われました。先生方が決めたグループ(4~5人)で半年間ディスカッションをしながら社会課題を解決する施策を作ります。

このグループワークがなかなか大変で、例えば「どれだけ真剣に取り組みたいか」の温度差(=熱意の差)が大きい人同士が同じグループになった場合。

「忙しいのでなるべく省エネで取り組み、単位さえ取れればいい」という考えの人と「一生懸命取り組んでもちろんいい成績を残したい」と考える人もいます。

そういう人の組み合わせでグループが形成されると、、、お互いに尊重しつつ進められればベストですが、グループワークには「多数決の法則」というものがあり、例えば4人グループで3人が「省エネタイプ」だった場合、残り1人の「一生懸命やりたい人」が、その思いをかなえられなくなる可能性が高くなります。

4人のグループのうち、凡庸なアイデアしか出ない人が3名、良いアイデアを持つ人が1名いたら、多数決でその1名が排除される可能性が高いです。ですので、グループワークの時は、多数決は採用しない方がよいでしょう。先生方もそれを大変懸念していました。

一方で、よいグループワークができれば、素晴らしいアイデアが生まれる可能性もあります。そのような過程を踏むことができること自体、かけがえのない経験になると思います。

修士1年生の後半のグループワークでは、相手を自分で選ぶことができなかったため、良い経験ができた人、そうでない人がくっきり分かれたように思います。

来年度、修士論文に取り組むときは、一人でも、グループで取り組んでも良いとのことで、自分でパートナーを選ぶことができます。

もちろん、自分ひとりで十分できるスキルの高い人もいるし、グループワークの良さを知った人は、自分と同じくらい熱意を持った人に声を掛けてグループを組むことができます。

大学ではマッチングはしないので、グループで修論に取り組みたい人は、誰がよさそうかな、というのは一年間の授業の中で感じ取っていくものでしょう。ですので、入学後すぐから、授業中の態度や取り組み姿勢などは、誰かに見られていると思っていた方がよいと思います。

入学して一年が経ち、社会人大学院(特に通信制)の場合は、学生の年齢も居住地も国籍もスキルも考え方もバラバラな人が集まるということ、グループディスカッションが中心の授業では、組み合わせにより悲喜こもごもであることが、分かったところです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?