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自分を責めるのは、もう辞めよう

シンプルに、
自分のこと責めるのは、辞めよって話。

だけど巷には
それを推薦するような動き、めちゃありませんか?

私はこどもを怒っていていつもそう思います。

発達障害グレーの個性的な我が子を

どうやったら普通にできるかと考える時はいつも

その他大勢の中の組織に組み込まれた瞬間だ。


さらにいうと

過去に個性的だったにもかかわらず親となった私が

それを母親というカテゴリに分類されると

さらにルールは増す気がする。

ネガティブな話をしたいのではなくてね。

なんならポジティブになりたくもあってね。


あ、受け入れてくれないんだ、


という思いを何度も味わうと

脳がもう普通を求めるようになるよね

伸び伸びと生きるよりも

攻撃を受けないで生き延びる方法を求めるようになるよね。

私はそれで生き延びてきたわけだけども

少ない理解者の中で伸び伸びと暮らしてきた若い頃は

とてもとてもとても

たまらなく幸せだったと胸が締め付けられる

私はどうしてそれを手放してしまったのだろう

どうしてお金や普通や世間が求めるそれらを望んで

個性的な道から外れてしまったのだろう

不完全で不安定でどうしようもない仲間達を

普通になりたくなった私は手放したんだ

だけど

普通すぎる普通の厳しい旦那と出会って

毎日が窮屈で

なんの楽しみもなんの寄り道もなくて

無駄がなくて完璧で

贅沢は敵で失敗は許されなくて

立ち止まることもなくて

子どもが生まれたらさらに義務が増えて

どこへ向かっているんだろう

どうして私はこれらをこなせないんだろう

どうして私はこれらをこなしたいと思えないんだろう

どうしてこれらをこなさないと責められるのだろう

どうして何も言われなくなっても自分を責めるのだろう

どうして責めているのだろう

なりたくもない

やりたくもない

子どもに、私は何を教えているのだろう


どこまでも広がる大地で

駆け回っても誰もいない大草原で

今大切なことは何かと聞かれたら

本当に大切なことは、ごくわずかだ。

そんな僅かなことも

今の生活では見逃してしまいそう。


少なくていい

いなくていい

理解者はいつも私自身。

子どもにも

いつも私が味方になってやる

この広い地球で、大切なことをちゃんと見つけられる大人になってほしい。

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