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時間と場所を超越するもの

『チ。 ー地球の運動についてー』という漫画で、こんなセリフが出てくる。

文字は、まるで奇跡ですよ。
アレが使えると、時間と場所を超越できる。

この言葉自体は、長濱ねるさんの『たゆたう』というエッセイで紹介されていて、それで知った。

なので、『チ。 ー地球の運動についてー』がどんな漫画なのか知らないし、どこの文脈でこのセリフが登場するのかも知らない。

ただ「良い言葉だな」って思ったから、ここに書き残しておくことにした。



忘れてしまうほどに当たり前のことだけど、

本屋に行けば、古今東西の本がそれほど高くない値段で買えて、

その時代、その場所で書かれた文字を、今も読むことができる。


別に本を買わなくたって、図書館に行けば、

蔵書が許す限りいくらでもそのような文字たちに、触れることができる。

時空を超えた言葉に、会いに行くことができる。

文字は奇跡だ。



それは、このネットの世界でも同じことで、

僕は、北は北海道から南はスリランカまで、

自分の住んでるアパートから遠く離れた場所で生まれた言葉を、受け取っている。


数百年前とかに比べれば、ずいぶん最近だけど、昔に書かれた記事を読むことだってできる。

今日もこの世界で、時空を超えた文字を読んでいた。

普通に生きていたら、出会うことはなかっただろう人たちが書いた言葉を、読むことができる。

そしてありがたいことに、僕が書いた言葉を、受け取ってくれる人の存在もいる。

狭いアパートを飛び越えて、遠くの彼方へ。

文字は奇跡だ。




自分が過去に書いた言葉だって、しっかり残っている。

昔に書いた自分の記事を、読んでみることにした。

まだ将来への進路が定まっていなくて、ぐらぐらに揺らいでいた時期に書いた記事を。


どの選択を選んでも不正解なような気がして、将来に対する不安に押しつぶされそうだった頃だ。

文章にあそびがなくて、冗談も今みたいに言ってないし、余裕のなさがひしひしと伝わってくる。

これまで下してきた決断に対して「あのとき、こうしていればなあ、、」と後悔していることも、感じ取れる。


誰に向けて書いているのかなんて、当時は全然考えていなかったけど、

今こうして、自分で自分の言葉を受け取っている。


あの時の選択が正しかったと言える自信は今もないけど、

あの時の自分が今の自分とちゃんと繋がっていることは、自信を持って言える。


言葉は過去と未来の自分に向けても、届けることができるようだ。

現在を飛び超えて、過去と未来の自分に。

文字は奇跡だ。




この文章も、5年後ぐらいに、また読んでみたいな。

どんな顔をしながら、読んでんのかな。



noteさん。

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僕も素晴らしい記事を書いて、noteがもっと盛り上がるように頑張ります。

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