見出し画像

理論物理の上にも3年

若い時の苦労は買ってでもしろ

若いうちに失敗をたくさん経験しろ

若い時にしくじってもあとで取り返せる


そんな自己啓発のセミナーで聞こえてきそうな考えを持っていた僕は、

若い時はできるだけ挑戦して、失敗をたくさん経験しようとしていた。


研究室選びをするとき、

この考え方に従って、あえて険しそうな道を選ぶことにした。


理論物理学の研究室。


実験をする研究室ではなく、紙とペン、コンピューターを使った数値計算だけで研究を行う。

当然、難しい数式をゴリゴリと計算していく力が求められるし、コードを書くためのプログラミングスキルも必要不可欠だ。

そして大前提として、学部で習う「力学・電磁気学・量子力学・統計力学」などの内容もしっかり理解してないと、理論研究なんてできない。

僕には、それらのスキルや知識を備えていなかった。控えめに言っても。



だけど、例の「若いうちは挑戦しろ」という言葉に突き動かされ、理論物理の研究室に入った。

ようは、無謀なチャレンジをしたわけだ。




研究室に入って、1週間ほど経ったころ。

こんなことを感じられずにはいられなかった。



「ミスった〜」



ゼミで使う教科書を渡されたのだが、内容が難しすぎて頭が爆発した。ドッカーーーンだ。

そりゃそうなる。これまできちんと物理学と向き合ってなかったから、当たり前だ。理論物理の研究で求められるレベルと、自分の実力に、あまりにも大きなギャップがあった。


不安にさいなまれる日々。


「ついていけるかな?」

「本当に卒業大丈夫かな?」

「もう数式見たくないよぉ」


ゼミの発表担当が自分に回ってくるたびに、憂鬱で仕方がなかった。

訳わからん激ムズの数式を、計算させられる毎日。だけど立ち向かわないと、研究が進められない。

自分にとって、もうそれは拷問に近かった。




それは、修士に入っても続いた。

いやむしろ、さらに過酷になった。学部4年に比べ、修士の方が求めれられる基準も上がるからだ。

ゼミで洋書の本を使っていたのだが、この本の演習問題を解かせられた。

クソ分厚い本で、重すぎて持ち運ぶこともできない。

この本の章末問題を、自分の担当の番が回ってくるまでに解いてこなければいけなかった。ホワイトボードに数式をつらつら書いて、教員の前で説明しないといけない。

毎回「行きたくない、行きたくない、ぜーったい行きたくない」と駄々をこねながら、ゼミに参加していた。思い出しただけで、泣けてきそう。



プログラミングの方も、Pythonで「Hello, world!」を書けるぐらいのレベルから始まったから、研究で座礁しまくる日々だった。

教員の方に「え、プログラミングで積分もできないの」と驚かれ、「ああ、本当に選んだ研究室を間違えたな」と後悔した日のことを覚えている。

修士研究で求められるプログラミングのレベルも高く、複雑な計算も自分でプログラムとして落とし込む作業が必要で、本当に骨が折れた。

うまくいく見通しが立たなくて、幾度も眠れない夜を過ごした。


そんな日々から逃避するために、noteで文章を書いたこともたくさんあった。

文章を書いていると気分転換になって、落ち着くんすよね。




この3年間(学部4年の1年間+修士の2年間)、しんどくて苦しくてたまらなかったけど、

そんな日々も、もう終わりを迎えようとしている。



若い時の苦労は買ってでもしろ

若いうちに失敗をたくさん経験しろ

若い時にしくじってもあとで取り返せる



苦しみの渦中にいる時は、「なんであんな言葉を真に受けたんだろう」と悔やみまくっていた。

だけど、今となっては、理論物理の研究に挑戦したことに対して、全く後悔はない。

物事を物理と数学の観点から見れるようになったし(それが記事になったこともたくさんある)、プログラミングにも慣れたし、「仕事バリバリやるよりはプライベートも重視したいタイプだな」といった自分のモチベーションの理解も深まった。

「痛みなくして得るものなし」の言葉通り、失ったものもあったけど、その代わりに得ることができたものもあった。




そしてついこのまえ、来年春の日本物理学会に出れそうな目処が立った。あんなへなちょこレベルから、周りの助けもあって、なんとか発表できるラインまでこれた。


発表した後、その道のプロから質問でボコボコにされて、また一つしくじり体験が増えそうだ。


あと、修士論文も書かなければ…



まだまだ苦行は続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?