時間はどこへ消えた
なんか気づいたら、時間なくなっているな…
予定では、今頃とっくのとうに、あの本とこの本は読めていたんだけどな…
そうなのだ。
漫然と過ごしていたら、いつの間にか時間が過ぎ去ってしまってて、また
明日へと自動更新される。
時間はどこへ消えてしまったのか。
「私たちの行動は、習慣にほぼ左右される」みたいなことを、耳にしたことがあるが、たぶんそれだ。惰性でやっている、自分にとって本当はどうでもいいことに、知らず知らずのうちに時間を奪われているのだ。
そういえば、習慣について、物理の視点で書いた過去の記事もあったな。
習慣化した悪癖によって、本来やりたかった読書の時間が削り取られていたのだ。
1日を思い返してみる。
何となくYouTube見ちゃってる時間が無駄だ。
入り口は音楽を聴いたりするためにYouTubeを開いたのに、途中から脱線して、たいして興味もないYouTuberの動画を見てしまっている。で、気づけば、意外と時間が経っている。
それから実は、脳が休まる時間にもなっていない。
見終わった後に、爽快な気分にならないのは、このYouTubeを見る時間を後ろめたく感じている証拠だ。
やりたいことをやる時間をとる、もしくは新しく何かを始める際に、何かをやめることが大事だと、聞いたことがある。
何かをやめることで、その空いた時間で、「何か別のことに、この時間を使ってみよう」という気持ちになるからだ。パンパンに詰められた袋に、新たに物を追加することはできない。
これは、圧力差の関係と似ているなと思う。
気圧の高い方から低い方へと、空気は流れる。風が吹く仕組みは、この気圧差があるから。
液体に関しても同じで、圧力の高い方から低い方へと流れる。ジュースの入ったペットボトルに小さな穴を開けると、ピューっと液体が飛んでいく。ペットボトルの内側より、外側の方が圧力が低いから。
やることがパンパンに詰まっている状態は、圧力が高い状態とみることができる。
これだと、外側からものが何も入ってこれない。新しいことも、始められない。
反対に、やることが少なくて空白時間がたっぷりある状態は、圧力が小さい状態とみることができる。
「時間できたし、前から興味あったことやってみっか」と、外側から、本来やりたかったことが流れ入ってくる。
今年も、残すこと2週間ぐらいだ。
今年が終わるまでは、YouTube見るのを、いったんやめようと思う。全く見なくても、生活に支障は出ない。
あと、音楽は、サブスクで聴く分で事足りるからね。
ちなみに、わては、LINEミュージック派です。もうすぐ学割使えなくなっちゃうな。
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