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【唐津焼のすごさって?福岡・唐津・別府・湯布院へやきもの巡りの旅】

正直に言うと、最初は唐津焼のすごさがわからなかったんです。
「なんか、素朴な普通の器だな」と思ってしまっていました。

バイト先で使う器は骨董品が多くて、お皿洗い担当の私は洗うのが毎回怖いです。最初はよくわからないまま洗っていましたが次第にこれはどんな器なのか、誰が作った器なのか気になり先輩に聞くと、その器の背景を沢山教えてくださいました。その中で、唐津焼の話を聞きました。ちょうど、唐津焼を作っている人の個展が近くであったので行ってみると、不思議と愛おしく見えて、目から離れませんでした。やきものを買うなんて人生で一回もないし、ちょっと高いし、買うのを迷いました。一度家に帰ったのですが、その日の夜夢に出てきたので、次の日もう一度個展に行きました。まだ目をつけていた商品があったので、これは御縁だと思って買いました。

この唐津焼を作った方にお会いしたい!もっと唐津焼を知りたい!
そう思っているとバイト先の大将が、唐津に行くという話を耳にしました。ダメ元で、「私も唐津に行きたいんです…!」とお願いしてみると、ついて来たいならいいよと言ってくださいました。やった!!


一日目 唐津 絵付け


まず唐津に着くと、私たちはぐい呑みに絵付けをしました。唐津の資料集を見ながら、どんなものを書きたいか決めて、どんな筆で、どんな濃さの色にするか考えました。釉薬にチャポンと浸けて垂れ流しても良いと言われ、想像が膨らみました。私は草を書きたかったのですが、筆はどっちの向きに傾けるか、どっちから書けば美しいのか、いざ書くとなると考えることがとても多く、丸を書こうとしたら上手く丸にならず途中で線が切れてしまったり、チェック柄にしようと思ったら線がかすれてしまったり、なかなか思った通りにはいきませんでした。でも、それがまた良い味となって、仕上がるのがとても楽しみになりました。焼き上がると、今の色とはまた大きく変わるそうです。
その後は唐津焼の展示室で自分好みの茶碗を選び、お茶を頂きました。美術館で見るような器を実際に使って、口当たりや飲んだ後見込みを見るという贅沢な体験でした。

ふきのとうが入ったお菓子

夜はなんと、京都の鹿ヶ谷の窯でやきものをしている方が、唐津焼に絵付けをするというビッグコラボレーションがありました。

唐津を愛して忠実に研究し、伝統を受け継ぐ方の器に、昔の人の絵の描き方、色の出し方を何度もテストしながら極め、再現しながら今の心の動きをも表現するお二方。昔の人の心と体の動きが、今この時代に見れているという感覚で、その空間は令和の桃山でした。

二日目 唐津 窯跡巡り

山の中に陶片があちらこちらに転がっている様子

窯跡巡りをして夢中になって陶片を探して、絵がついているもの、すり鉢みたいになっているもの、器を作るときに使っていたであろう道具などを見つけました。ろうそく立てにちょうどいいかな、箸置きにしたら可愛いかな、と想像を膨らませて、宝探しのようでした。
私はここで、時間をかけて探しても完品は見つからないし、絵が沢山ついているものも全然ないことに気づきました。だから今ある400年前の器とかは本当に奇跡だし、それが変わった形だったり、5脚揃っていたりするのはありえないレベルの奇跡ということだと身にしみて感じました。今まで400年前の器が残っていると聞いて、「すごいなぁ」と思っていたけれど、その「すごい」の深さに気がついていませんでした。
その後、九州陶磁文化館に行って器を見て、本で見たことあるようなものを見たり、陶片コーナーに行ったりして「こんな形の陶片があるのか!」「さっき見たようなやつだ!」と言って盛りあがりました。

最後に中里太郎右衛門陶房に行きました。

茶室でお茶を頂き、みんなで器を拝見した後、不思議で魅力的な茶碗のお披露目がありました。その茶碗の銘を聞き、その銘に付随する和歌を聞くとさらに茶碗の奥深さを感じられ、情景が浮かびました。普段は鍵が閉まっていて入れないところに、重要文化財の水差し「福の神」がありました。何度も本で見たことあるもので、まさかここで出会えるなんて考えていなかったし、触れることができるなんて思ってもみなかったです。どんな作りになっていて、角度や厚さ、重さを肌で実感し学びました。


~唐津焼の味わい~

私は唐津で、「土味」「筆の運び」「肌のとろみ」を実感しました。

唐津の固く締まった土味
土そのものが持つ個性は窯ごとで違い、色調や風合いなどから出てくる微妙にして深い味わいは、なんとも言い難いものです。唐津焼と言ってもこんなにも変わるのかと驚くばかりでした。
そして太線と細線の絶妙なバランスとその線の美しさの絶妙な筆の運び
それは周囲の余白によって一層引き立ち、これ以上いったら美が崩れてしまうという省略も省略を重ねた絵となっており、おおらかで自由を感じます。
また、器の肌理に浮かぶ艶やかな光沢、すっと手に馴染む優しい触感の肌のとろみ
繰り返し使うほど、味わい深く育っていくのだと伝世品を見て感じました。

過度な自己主張をしないけど、だからこそずっと見てられるし愛らしく見える。私の暮らしに溶け込んでくれる。
生々しく陶工の心と体の動きを400年間ずっと変わることなく新鮮に保存してきて、今も再現できるってなんて素晴らしきことなんだと感動の連続です。わからないことが多いけど、でも唐津焼って面白いし楽しいなと思っています。

三日目 大分 魚屋さん

バイト先に魚を送ってくれている魚屋さんに行きました。

どんな魚が今あるのか、情報を共有しながらいけすを見て、次注文したい魚を決めている様子

どんな方から仕入れていて、どんな魚がそこにあるのか確認でき、現場に行くことの大切さを感じました。料理人さんたちは、その魚屋さんとすごく仲が良くて、そこに強い信頼関係があるんだなと見えました。
その夜、私は初めて別府温泉に入りました。


そこら中もくもく湯気が上がっていて素敵な風景でしたし、お風呂はとっても温かくてまた絶対来たいと思いました。

四日目 大分 骨董品を扱う道具屋さん


道具屋さんで見たものたちは、魯山人の茶碗や壺、彫三島唐津、乾山の額皿など、本に載っていたものや、見どころしかないものばかりで時間はあっという間に過ぎていきました。

裏庭に行くとふきのとうが出ていて、料理人さんたちはつい夢中になってふきのとうを採っていました。春の訪れを感じました。

その夜の宿泊先は、「山荘 無量塔」。


建物、空間、接客してくださる方の気遣い、全ての世界観に深く感動し、圧倒されました。夜ご飯は懐石料理で、わざわざ部屋にベストタイミングで運んできてくださりました。大将は、料理を持参した器に盛り移し、器の楽しみ方を見せてくれました。

そして面白かったのは、磁器で食べるご飯と志野焼の器で食べるご飯の味わいの違いです。よそっているのは同じものなのに、味わいが全く異なる。そんなことありえるのかと思うけれど、違いました。ご飯の食感と、志野焼の触感が似ているから、美味しく感じたのかな、と気づき、美味しいは五感で味わっているのだと改めて感じました。
食事が終わると、茶箱のお点前が始まり、みんなでお茶と器を楽しみました。器の歴史はまだまだわからないことが多く、何が正解なのかわからないそうで、それを器好きな人で想像しあって、深めて考えている時間は、とても贅沢でした。旅先に茶箱を持ってきて、みんなにお茶を点てている方を見て、私は時間をかけてでもいつか自分好みの茶箱を完成させて旅先に持っていきたいなと思いました。

五日目 福岡 骨董品を扱う道具屋さん


また違う道具屋さんを二件お邪魔し、珍しいものを沢山見ました。そこには、不思議で神秘的な軌跡のような茶碗があり、釉薬のかけ具合や見込み、立ち姿、なり、絶妙な手触りに感動しました。器って最高に楽しい!!
そして、二日目に見たものとはまた違う「福の神」を持たせてもらい、ねっとりどっしりしていて重そうに見えるのに、あまりの軽さに驚きました。叩きという技法で空気を抜いているから、軽いそうです。福の神に書かれていたLという字が、中里太郎右衛門陶房で見たものと同じような描き方で、同じ作者なのかな?と想像が働きました。二回も見れるなんて奇跡でした。


次の日、私は弘道館で庭掃除をしていると太田先生にお会いしました。太田先生に茶箱の話をすると、ちょうど婦人画報の3月号に茶箱の特集があると言い、見せてもらいました。

すると、茶箱のページに載っていた3名の方と、私は昨日まで一緒にいたことが判明し、驚きを隠せませんでした。こんな奇跡の偶然があるのかと。
その後私は楽美術館に行きました。
茶の湯の世界では古から、茶人の茶碗の好みの順位、また格付けとして、『一楽二萩三唐津』と言われてきました。ちょうどタイミング良く楽焼も学ぶことができ、次は萩に行きたいなと思いました。



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