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おんがくをかくかくをかく拾壱〜さがしもの

ちょうど 東日本大震災の前年
数年間一緒に生きたひとを喪った
自分を責めて後悔して それが逃げであることすら思い知った
泣いても私は逃げている
誰のせいでもないのに 彼と同世代の他人を見ては
なんで他のひとがこうして変わらぬ日常を生きているのに
彼は死んでいるのだろう、と
誰でもない誰かに その日常を羨ましく思った

私はそのとき
その瞬間の、逃げたり悔やんだり勝手に腹を立てたり そしてそれを ぶち撒けられない己の保身に
無性に
なにか私が私に納得するもの
を 探していた
慰めではなく、共感でもなく、理由はわからないがたぶん
鞭のようなものを欲していた

映画やドラマは観られなくなった
生身の人間が演じたり話したりするものが観られなくなって、
本を探しまくったり、うたを聴き漁ったりしていた

アニメは大丈夫だった
このとき深夜枠でやっていた鋼の錬金術師を
文字通り寝ないで見漁り、アホみたいに泣いていた

けれど結局、それも私の当時の感情にあたるものではなく
今の今まで
見つけられなかったと思う  
私を言い当て鞭を打つなにか を


たぶん いたみをもっと得なければ、ウソだ
と思っていて
そればかりを探していたと思う

震災が起き、彼が残したねこたちを護り喰わせて行くことに日々を費やすうち、
震災とほぼ同じだけの年月が流れた

私は生きている

この間 ずっといろんなうたをまた新たに聴いて
あのときの いたみを欲しがっていた私
が いつの間にか小さくなった
なくなっちゃいないけど

私が生きたいから
生きる理由をなにかを護ることにすり替えて
いる部分はあると思う

竹原ピストルの
『カモメ』を最初に聴いたときは
うーわ、すげえなこれ と思った
それからライヴにも何回か足を運んだ
彼が死んだあとだ

『今宵もかろうじて歌い切る』の詞を
今更ながらちゃんと噛み締めたら

なんだよ、ここにあったじゃん、鞭

って気づいてしまったのです


    『 拗 れに拗れた感傷が
      あからさまなトドメを 待っている』

 
これだった
私が探していた鞭は

あとに続く

『あいつが逝った との報せを
まだ鼓膜の内側に飼っている』

これでもうトドメ


そうか、鞭鞭言ってたけど
トドメを刺してほしかったんだ私

じゃないとこのさがしものがなんだかわからないまま、
ずっとわからないものをわからないくせに探しまくっちゃってたからなんだ   

わかった
やっとわかった

 ありがと竹原ピストル

あなたはやっぱりすげえなぁ

誰かを喪ったという
人生でたくさんはないことを
どんな事も私にうまく説明してはくれなくて
ありがたい友人たちの手は優しかったけれど

私は私に
この決着をつけたかった 何処かで  



トドメか  わかった ようやく



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