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【作曲家K9】芸大で

音楽教育研究室 

東京藝大大学院音楽教育研究室に入った頃は先生になる気はありませんでした。作曲の恩師からら大学院は研究テーマを持たなければならないが、わからないだろうからと、都内の小学校の音楽の先生、平沢元先生を紹介されました。初対面の私に平沢先生は、とにかく学校の中に入っていろいろ見ていきなさいと、私を快く受け入れていらだきました。それから、毎日のように平沢先生の元に通い始めました。そこで見、聞き、経験した事は私にとって一生を左右されるものでした。先生の音楽性、教育授業方法とかと言うのはもちろん、先生の人間性及び生き方に大きく影響を受けました。それはそのまま社会において音楽をするものがどう生きていくかと言うことでの原点を考えることの出来るものでした。抽象的な言い方なんですが。具体的にどうこうと言うよりも先生の人、生き方が私を夢中にさせるのだったと思います。私の得た課題は1つに、自分の専門がどう社会で貢献できるのか。1つとして音楽の教員としてどう生きていくのか、そして、研究室には現役の学校の音楽の先生が研修かされていました。大学の先生もそうですが、平沢先生もちろん、その先生方から「川手さんどんなに忙しくても自分の専門を大切にしないていけないよ」とか「とにかく音楽だからね」と言うことをよく言われました。

先生になって

それは私にとって当たり前のことのよう捉えて、実践していこうと思いました。教職についてみるとそれがいかに大変であるかと言うことを身をもって感じました。今で言うブラック企業並みの忙しさでした。新設校の新しい教科課程を運営して行くということが限られたスタッフの中で進めて行くのは大変な事でした。11年その学校で勤務しましたが、最初の5,6年はほとんど休みがない中で勤務していきました。私が幸いしたのは、授業を持つ生徒たちの多くが音楽の専門を目指す人たちだったと言うことです。自分の専門の力が常に生徒たちにさらされと言うこと.その緊張感が大変なものでそこで、研究室の先生方から言われたことが自分にとって支えになりました。どんなに忙しくとも作曲は続けました。オーケストラの部活をもつことで音楽を常に学んでいられました。

川手誠(作曲家)


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